死ねる 生きる 愛してる

死ねる 生きる 愛してる

死ねる
よろこびに
満ちる
青空色 青く 青く青く
愛してる

死ねることは
決まっていることだから、
どの道歩む人生ならば、
思うことだけでもすてきに
生きたいが、
苦しみや 悲しみは
苦しいし 悲しいので
無理は言いません。

その時は分からないが、
その時も私は生きたいか
その時になってみないと
分からない
分からないことを今
アレコレ妄想しても始まらない
始まらないのに
終わることが出来ようか
故に今を思う
今は全ての今とつながっている

これも
みんなのおかげ 私の本音は
生きたいのだった
出来る限り
生きる
よろこびに
満ちる
青空色 深く 深く深く
愛してる

投稿者

コメント

  1. 宿題を残して死んでいく方が多いなかこしごえさんは全容解明して
    気持ちよく生きたいのだなと思いました。

    死は生の延長線上にあるのですから

    素敵な作品です。

  2. @足立らどみ
    らどみさん コメントありがとうございます。
    はい。人生も色々な物事がありますね。でも、出来るだけ後悔はしたくない。生きている内に出来るだけ言いたいことは言っておくというのが私の立場です。でも、最近は後悔しても、昔よりかは後悔を味わえるように少しなったかなぁ、と思っています。ふふ。

    そうですねぇ。死は生の延長線上にあるというのは、その通りだと思います。色々な次元と意味でですね。

    素敵な作品と言ってくれてありがたいです。らどみさん、ありがとうさま。

  3. @こしごえ
    こしごえさんは死をテーマにしている作品が多いですよね。
    30代のころ看取りをテーマに詩を書こうとして死があまりにも荘厳で、
    優しく静かなものだととことん教えられて、仕事も忙しくなってきて、
    私にとり、詩はかくものではなくよむものなのだとエセサトリしてた
    ことがありました。己の死と真正面から見つめあっている人々には、
    私は、なにも声をかけられませんが、敬意の気持ちだけは失ったことが
    ありません。

  4. 死ぬことは、抗えない事実。だからこそ、どう生きるのか。どう、詩を書いていくのか。…読後、そんなことを考えてしましました。

  5. @足立らどみ
    らどみさん コメントありがとうございますね♪
    はい、そうですねぇ、死をテーマにするのは、私にとっては自然なことなんだと思います。これは、私が若い頃に次兄が事故で亡くなってから、生死について考え続けているからなんだと思います。そして、いつの間にか自らの生死について最近は考えたりする機会が多くなったように思います。まぁこれも自分や周りの環境などの変化に多かれ少なかれ影響を受けているからでもあります。
    らどみさんが、そのように敬意の気持ちを持ってくれることが、ありがたく貴重に思います。
    らどみさん、ありがとうさま。

  6. @長谷川 忍
    長谷川さん コメントありがとうございます。
    長谷川さんの言う通りですね。うん。死からは(現在の科学では、今のところ不老不死はまだ実現出来てはいないようですが、それも時間の問題かも?)逃れられない。だからこそ、今をどう生きるか、ですね。はい。
    そう、どう詩を書いていくか、ですか。うん。
    長谷川さんが、この作品から、そのように思ってくれて ありがたく嬉しいです。長谷川さん、ありがとうさま。

  7. @こしごえ

    死とはなにかは、
    詩とはなにかに
    通じますね
    とって付けたようで
    今さらですが

  8. @足立らどみ
    らどみさん コメントありがとうさま。(^-^)
    詩とは何か、と問われれば、今まで何回も言ってきたように「詩とは、私にとって、死を含んでいる生(せい)である」と言います。しかし、その死とは何か、ということになりますが、これは私が所属している同人誌用の次の次の号用に書いている通りで、この私の肉体が魂を失った時、もしくは、この魂が私の肉体を失った時に死んだことになるのだと思います。
    なので、「詩とは、私にとって、魂を失う(肉体を失う)ことを含んでいる生(せい)である」と言い換えることが出来ます。
    らどみさんのおかげで、以上のことを言うキッカケを頂きました。らどみさん、ありがとうございます。

  9. @こしごえ

    なんだか、
    説得力があるような力を感じ羨ましい限りです。
    今度、座敷童子に聞いてみます。

  10. @足立らどみ
    らどみさん いつもコメントをありがとうさまです☆
    ああ、らどみさんが 私の思ったりしていることを分かってくれて、そのように言ってくれることを貴重に思います。らどみさん、ありがとうございます。拝礼
    うん、座敷童子さんによろしくお伝えください。

  11. 再び読みに戻ってまいりました。
    やはり、最終連がとっても素敵ですね。素直に「本音は」と言える(書ける)ところに腹(肚?)の決まり方を感じます。最終行の潔く強い「愛してる」も。

  12. @あぶくも
    あぶくもさん コメントありがとうございます。
    あぶくもさんが、再び読みに来てくれて、ありがたいです。(^-^)
    うん。
    みんなのおかげ 私の本音は
    生きたいのだった
    とね。みんなのおかげ、というのもそうだし本音ですよね。本音は、生きたいのだった、なのです。生きたいから、色々と苦悩する。いや、死にたいと思うこともあります。しかし、自殺しなくても、いずれどの道「死ねる」(死ぬことが可能で、死ぬことは絶対に決まっていること)。まあ、あぶくもさんだから(甘えて言えば、ここぽえ会だから)正直に言えば、昔のことですが、私は自殺未遂を今までに何度かしたことがある(結果的には大事には至りませんでしたが)。まあね、自殺して死ぬ人は、本当にその時のその時に本当に苦しくて、その苦しみ(や苦しみなど)故に自殺するのでしょうけどね。でも、あえて「狂ったことを言えば、」自殺が悪いこととかってどこの誰が決めたことなんでしょうね?ふふ、おかしいや(私に言わせればね)。
    でも、だからこその 本音であって、色々思うところもあるけど、最終的には、生きたい んですよねぇ、私の場合は。
    あぶくもさんが、最終連をとっても素敵と言ってくれて、そのように感じたりしてくれることを嬉しく貴重に思います。あぶくもさん、ありがとうさま。

  13. 印象的なタイトルと、それに呼応した詩が、今日という日にひとさじの青を。

  14. @たちばなまこと
    たちばなさん コメントありがとうございます。
    ああ、あんまり作者自身が言うと、野暮ったくなりますが。
    死ねるよろこびと同時に生きるよろこびもありますね。死ねる、ということについては、そうですね、死ぬことが可能、ということ。まあ、危険な考え方かもしれませんが、これは、この世の苦しみ悲しみなどのつらさから解放されるということ。無限に永遠に続く苦しみがあるとしたら、無限の地獄ですよね。まあこういう考え方は私特有のことなの かもしれませんが。ん。
    その反対に、生きるよろこびもある。生きる、というか、生きられる、ね。私は時々言います。「さまざまな人や物事に、さまざまに支えられている私がいる」と。もっと言えば、さまざまな存在に生かしてもらっている私がいる。その上で、人生の色々な物事を楽しむ。まあ、生意気(?)なことを言うと、楽しませて頂く、ね。まあ、言うは易く 行うは難し、なんですが。日常のちょっとしたことで一喜一憂しちゃう自分が居て、これらのことを言う自分を笑っちゃうんですが。ふふ。

    たちばなさんが、この作品を詩と思ってくれたことにまず感謝します。
    そして、題とこの詩の内容を思ってくれて、それで今日という日にひとさじの青を、と思ってくれて嬉しい。たちばなさん、ありがとうさま♪(^-^)

コメントするためには、 ログイン してください。