その声
死ねない まだ声は 死ねない
こう思うのだった
命の声は
深く
ささやく
「生きる」と。とはいえ
生きることに、
気を配るのではなくて、
とらわれすぎると
苦しくなってしまう。
蜩(ひぐらし)が今年も
愛の哀しみの歌を歌っている
夜(よ)が明けたころや
夕暮などのころに。この愛の歌を
思う声は思ってはいけないことを思う
この宇宙を生んだのは何か
この宇宙を生んだのは
神か
ならば、
その神を生んだのは何か
その神を生んだのは愛か
その神を生んだのは魂か
その神を生んだのは永遠か
ならば、その何かを
その愛を
その魂を
その永遠を
生んだのは果して何だろうか
こう思っていくと静かに狂っていく声
静かに狂っていって おしまいには
沈黙
するしかなくなる
無くなる 亡くなる 声、そして
沈黙の魂は闇を超えて
何かへ帰り、あ、と生まれる
コメント
ずっと生死を逡巡するかのように考察した結果の、最後の一行がとても素敵です。
@あぶくも
あぶくもさん コメントありがとうございます。
そうですねぇ、生死というのは、悩み苦しむのも生きることに含まれると思います。生きている限りこれは仕方がないことなのでしょう。その上で、魂が体を離れた際には、何かへ帰り、再び新たな器(肉体や物体に宿り)生まれる。なんていうんでしょうかねぇ、でも、一般的な宗教(仏教やキリスト教など)で考えられている魂ではなくて、もっと自由な存在なんだと思うんです魂って。でも、魂の存在などについては、ほんとのところは誰にもハッキリとは分からないんじゃないかなあ、とも思いますよ。うん、でも、分からないんだったらね、せっかくですから、自由に思って想像などした方がすてきだと思います。ふふ。
あぶくもさんが、この詩を思ってくれて、その上で、最後の一行をとても素敵と言ってくれて、とっても嬉しい。あぶくもさん、ありがとうさま。(^-^)
声って、不思議ですね。聲とも書きます。人に声があるように、宇宙にも「聲」があるのだろうか。…声には、源が表れる、そんなふうにも思うのです。
@長谷川 忍
長谷川さん コメントありがとうございます。
うん、そうですねぇ、声って不思議ですね。声は音ですね。生きものは、声を出す。でも、生きものの中にも、声を出しているのか分からない(人間の耳には聞こえない)のがいますね。例えば、(潮干狩りのおみやげで頂いたことがある)貝のアサリの声は聞いたことがありません。でも、アサリだってアサリなりの声(のようなもの)を持っているはずです。でなければ子孫も残せない。ということから(強引に想像すれば)、たとえそれが物体であろうとも、どんな存在であろうとも、それぞれ全ての存在は「声」もしくは、「声のようなもの」を持っているのだと推測できます。え、ふふ。まー、強引ですが。なので、宇宙には宇宙「なりの」聲があるん「だろうと」思う(想像する)。
はい。
うん、そうなんですね。声には、源が表れる、そうですねぇ。うん。
長谷川さんの思いから(思いの連鎖で)思うと、現在があるのは、源あってのこと。根源が存在一つ一つの声に宿っているのでしょうね。
長谷川さんが、この詩からさまざまに思ったりしてくれて、ありがたく思います。長谷川さん、ありがとうさま。(^-^)