墓アプリケーション
自分が生きていることを実証するには死んでみせるしかない
不合理だが論理的な結論になるのが科学というものだ
おれは生きた
おれが計算機の中のアプリを生きているのではないと証明できれば、
いままでの生がホンモノだったことさえ知れれば、
つまり、妻や子供たちがおれの死後も実在するということさえ証明できれば、
おれは生きたと自分の生に満足できるだろう
おれは結局、自分の生に満足するために死の可能性について検討している
問題は、自分が死んだあと、自分が満足したかどうかを知るすべがないことだ
帰省して墓参りに行ったとき、両親に尋ねる
父さん、母さん、満足ですか?
そんなこと、気にしたことないし
いや、生きているうちに満足できんの、あんたは?
両親は生きているときと同じようにおれを変人扱いして呆れる
両親の愛を感じておれは合わせていた両掌を離して立ち上がる
暑さに耐えかねて車内で待つ妻と子供たちのもとへ戻る
立ち並ぶ墓石の前を次々に通り過ぎながら
立ち去るおれが計算機の中のプログラムだとすると
おれに両親や妻子を与えた計算機はきっと愛を知ったにちがいない
おれに発生する愛を観測し、感動のオゾンを吐き出せ、観測者たちよ
コメント
「十分に発達した科学技術は魔法と見分けがつかない」はACクラークですが「十分に発達した科学と哲学と宗教は融合する」はDr.takabo等です。ホログラフィック宇宙論が証明された暁にはそれをプログラムした神の存在が証明されるでしょう。その神は愛でできているかもしれない。そんな期待をも感じさせられる詩でした。
こんにちは。
拝読しまして、メモリーというもの、その維持、継続可能性、そして現実そのものとの違いということに、様々な想いを触発される作品でした。
僕の母は、お骨になって墓地に眠ってるんですが、そこもいつまで昔ながらの形でいるのか。
死者は電子記号となって葬られる時代も、そんなに遠くないのかもしれないですね。
私たちは死者に愛を捧げてやみませんが、死者には、(もう私を愛さなくてよいよ)、と感謝とともに伝えたい想いなども感じました。
@たかぼ
再起動。返信遅れてすみません。ゼッケンです。
>十分に発達した科学と哲学と宗教は融合する
Dr.takaboに1票。もちろん、これらはすべて最初はひとつだったもの。
長い分析の時代が終わってふたたび統合に向かうのでしょう。
人間はけっきょく神話しか持たない。
@蛾兆ボルカ
やあ! 来たな、と思いました。ボルカさん、ゼッケンです。
>メモリーというもの、その維持、継続可能性、そして現実そのものとの違い
記憶が現実ではないのは分かるけど、はたして記憶から生成される現実と感覚的事実として認知される現実にどれだけの差があるのか藪の中。
お盆の季節には、死者という記憶の中の存在と語らえるアプリケーションとして墓が立ち上がる。これが日本の風物詩だったのも今は昔。
ネアンデルタールも死者を弔ったそうですが、死者と語らう能力の発達が歴史から学ぶ歴史的集合知の出発かと。
>死者は電子記号となって葬られる時代も、そんなに遠くない
墓の電子的アプリケーション化で土地からメモリ番地に移設するのも環境保護の流れかなぁ。