無意識の自覚について

夢の中で僕がバス停が来る前におしっこをしたくなって、バス停の前でおしっこをし始める。すると、バスの運転手はタモリで、バスが来る。僕は慌てて、おしっこを止め、出してるものを、ズボンに引っ込めてバスに乗ろうとする。ところが、バスは僕を見ずに抜いていく。
僕は追いかけ
「おーい、いいともー」
と手を振りながら声を張り上げる。バスは気づかずに抜いていく。
石を投げて引き留めようとすると思った。
「石まで投げたら犯罪だし、その上でこの運転手は僕がおしっこをしているのを見た上で、あえて意地悪な社会人としての常識をとってバス停で止まらなかったんじゃないか?」
と言うことに気づく。
夢の中では想像力を通して他者の視点に入り込める。この時、何故運転手のタモリの心理的な動きが首尾一貫して掴めるのか? それが夢の持っている力。もっと言えば、無意識の力なんだ。無意識の世界では、色々な人と繋がることが出来る。逆に言えば、その世界でしか、本当は人は繋がれないんだ。
大人になると夢を見なくなる。想像力を通した心の目を無くす。他者の視点や、他者に成り切って物事を考えると言う視点を無くす。
すると、そう言う人たちが僕を見ると、キョトンとする。自覚するんだ。無意識や、公を意識する心の目には、そう言う力がある。

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