待合

草が草の記憶を語りだすと
風の結晶はふと風に溶けていく
掌で温めていた卵が消えてしまった時
わたしは初めて言葉を知った
その日の夕方
新しいベッドを買ってもらった
感謝の気持ちを伝えたくて
薄暗い台所におりていくと
美味しい水、とラベルに書かれた
美味しい水を飲んだ
触れるものはすべてが柔らかく
束ねられている
言葉、上手になったのね
そう褒められて覗き込んだ瞳には
海がひとつだけ映っていて
待合室みたいに狭く澄んでいたから
わたしは待つしかなかった
蝉がまっすぐに夏を鳴いている
本当はベッドも台所もない
誰もいない野原に
卵だけが転がっている
浅く深く呼吸を繰り返しながら
待ち続けている身体
生きているのに
生きることが遥かに懐かしい

投稿者

コメント

  1. 言葉は発生し 発生する前からそこにあり そして失われ また還ってくる。待合で待っている 新しい言葉を。

  2. @たかぼ
    たかぼさん、コメントありがとうございます。
    私たちの言葉はどこからやってきて、どこに向かうのでしょうか、なんて、物理的に考えれば説明はできてしまうけれど。かと言って、言霊とか、そういうのとも何か違う。命とのリンク、私たちが所有していて、それなのに、私たちは所有者にはなれない、そんな感じかなのかな、、、

  3. こんにちは。
    とても好きな詩でした。
    >薄暗い台所におりていくと
    >美味しい水、とラベルに書かれた
    >美味しい水を飲んだ
    から
    >触れるものはすべてが柔らかく
    みたいな、
    ことばことばが、付点でもなく、ほんのちょっとずつずれている感じがします、
    そのように、ゆれ、つよく、よわくなったりして
    最後の2行置かれたら、もうぼくはノックアウトです。
    ただ、なんだか、言葉が放り投げられている、感覚はなぜだかよくわかりません。
    読んでとても心地の良い感覚なのですが、

  4. @wc.
    wc.さん、コメントありがとうございます。
    好きと言っていただけて嬉しいです。
    心を言葉で説明しようとすると、心を定義づけるようで窮屈に感じてしまう。もちろん言葉を尽くして誠実に書く方法もあります。
    心の複雑な織り込んでいる感じとか、気まぐれなところとか、そのようなものを脈絡なくパッチワークのように繋げているところがあってそれが放り投げているように見えてしまう。よし悪しだし、ありきたりと言えばありきたりな書き方でもあるし、まあ、なんか面白いな、なんか心地よいな、苦しいな、とか感じていただいて、どこかが繋がればいいかな、なんて。

  5. 何らかの情景を伝えているようなのであり、それがどういった情景であるのかよくわからないのですが、それでも何らかの情景が心の中に鮮明に残ります。何らかのメッセージを伝えているように思えるのですが、それが何であるのかがわからず、それでも読み手である私には何かが伝わったように感じられます。小説ではこういった表現は不可能だと思います。詩の特権なのでしょう。不思議に印象に残る作品だと思います。

コメントするためには、 ログイン してください。