海をわたって風のくにへ

海をわたって風のくにへ

西へと
みじかい眠りを繋ぎながら
うず潮の海をわたる
古い記憶をなぞるように
島々はとつとつと
煙りの山はゆったりと
風の声を伝えてくる

雲は思いのままに
夏の空は膨らみつづける
いつかの風に誘われて
ぼくは眠り草に手を触れてみる
憶えているのは
土の匂いと水の匂い
そして古い遊び

風のくにでは
生者よりも死者のほうが多い
山の尾根でふかく
花崗岩とともに眠っている
竹やぶの暗い洞窟では
白い百合になった切支丹が
風の祈りを刻みつづける

迎え火を焚いたら
家の中が賑やかになった
古い人々は古い言葉をつかった
声が遠いと母がぼやく
耳の中に豆粒が入っていると
いくども同じことばかり言うので
子供らも耳の中に豆粒を入れた

送り火を焚いて夏をおくる
耳の豆粒を取り出すと
母の読経が聞こえた
ひぐらしの声で一日が明けて
ひぐらしの声で一日が暮れる
日がな風ばかり吸って
せみの腹は空っぽになった

きょうは目が痛いと母が言う
きのうは眩暈がし
おとといは便秘だった
薬が多すぎて配分がわからないと
母の目薬は探せないまま
ぼくはまた船に乗る
とうとう風の言葉は聞けなかった

投稿者

大阪府

コメント

  1. この抒情感は個人的にとてもしっくりくる。語り口も好みです。瀬戸内の山並が夕暮れに浮かぶそんな風景を浮かべました。

  2. 南海フェリーのサイトに掲載してもらいたいです。

  3. 王殺しさん
    コメントありがとうございました。
    コロナ禍で久しく船に乗って帰省もできず、しばし記憶の海を渡ってみました。

    あぶくもさん
    読んでいただき、ありがとうございました。
    ぼくがいつも利用しているのは、フェリーサンフラワーですが、船の旅はいいですね。

  4. 柔らかな抒情詩です。郷愁の想いを、お作品から感じました。
    「風のくにでは/生者よりも死者のほうが多い」
    「古い人々は古い言葉をつかった」
    そうして、懐かしさは受け継がれていくのですね。

  5. 長谷川 忍さん
    郷愁の想いに共鳴していただき、ありがとうございます。
    古い言葉は、古い記憶を蘇らせてくれますね。
    また忘れていた言葉が、
    眠っていた感覚も目覚めさせてくれたりすることがあります。

  6. どの連も心臓を撫でてくるような、震えのような。
    風の声なんですかね。

  7. たちばなまことさん
    いつも読んでいただき、ありがとうございます。
    風の声だったでしょうか、ひぐらしの声だったでしょうか。
    言葉にならず、心を震わせてくるのは。

  8. 心地よい風を知ってらっしゃる。
    私は6月になりやっと扇風機です。
    お泊まりの旅行したいものです。

  9. 僕は遠藤文学を敬うので、3連から4連にかけてはとくに共感する描写です。

    風のくに、とはとても興味深い領域な気がします。

  10. らどみさん
    コメントありがとうございます。
    今はもっぱら部屋にこもって6月の風を感じています。
    海を渡っていくのは旅の想いばかりですね。

  11. 服部 剛さん
    お久しぶりです。
    大層な山奥の町に、キリシタンが隠れていたという洞窟があります。
    しばし沈黙の祈りに耳を澄ましてみましたが、いまは風の音ばかりでした。

  12. 風のくに、どこかで彷徨ったことがあるような。不思議な既視感があります。

  13. あまねさん
    コメントありがとうございます。
    ぼくも、風のように彷徨っていました。いまもなお、ですが。

  14. 圧倒的で完全な雰囲気です
    なぜか、頭の中に独白する声が聞こえてきました
    ゾクゾクしました
    面倒を見ている母親の声は聞こえないのです

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