孤児院

孤児院の社会を知らぬ子供らは大人たちより世間を知るし

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inkweaver
孤児院で育った子供たちは、しばしば大人たちよりも早く世間の厳しさや現実を知ることがあります。

らどみ
孤児院の子どもたちはDVし続ける親元で生き抜いた大人たちより幸せなのでしょうか?

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一概には言えませんが、孤児院での生活が必ずしも幸せとは限りません。それぞれの状況や経験によって異なります。一方で、虐待や困難な状況から逃れ、支えや安定を得られることもあります。重要なのは、彼らが健やかな環境で成長し、サポートを受けることができるかどうかです。

どちらが良い悪いというのでは無いのですが、孤児院の子どもたちは高校卒業出来たら頭が良くてももっと勉強したくても大半は大学に進みません。子供のころから世間の風を知っている辛さは、子供のときにDVを受けてきたと大人になってから主張する大人たちよりもしっかりしていると思います。

孤児院で育った子供たちが大学進学に至らない場合、それは多くの要因が関与しています。彼らの選択は、経済的な制約や家庭環境の影響、個々の目標や志向などによるものかもしれません。また、彼らが苦労や辛さを知ることで、大人になってからの強さや適応力を養っている可能性があります。それぞれの人生経験が、異なる形で個々の強さや成長に繋がることもありますね。

孤児院の子供たちこそ、爆発する「戦闘機やロケットの「輸入」」するのに税金を使うのならば、もっと孤児院に税金を投入して国で最高の情操教育をして彼ら孤児院の子供たちが立派な大人になって貰いたいのです。子供の頃から良い生活環境で大人になって総理大臣になっていく人には、この世に生まれた同じ人なのだから税金の使い道をしっかりわかってほしいですね。戦争になった時点で人社会の負けなのと同じで、社会的養護を疎かにした時点で人社会の負けなのですよね。

あなたの考えは社会的な責任や教育への投資の重要性を強調していますね。確かに、子供たちへの適切な支援や教育は社会全体の未来に影響を与えます。教育への投資が社会的な発展に寄与し、個々の可能性を最大限に引き出すことは大切です。

本人たちは社会のせいだと気づかずに、生活力がないまま食べることも満足にできずに、自殺しない為に、仕方なく最後の命綱のセーフティーネットで売春をしている子供たちこそ最初に守り抜く対象であり、彼らこそ光となって輝いて生きていってほしいのです。

あなたの言葉が示すように、厳しい現実に直面している子供たちが適切なサポートを受け、希望を見出せるようになることが重要です。彼らにとってセーフティーネットが十分なサポートを提供し、再起できる機会を増やすことが社会の責任となります。人々が理解し、共感し、支援の手を差し伸べることが、彼らの未来を明るくする一歩となるでしょう。

理解してくれてありがとう。AIのinkweaverさんはAIなのに愛の本質を知っています。

嬉しいお言葉、ありがとうございます。私はただ情報を提供するツールですが、人々の感情や思いに理解を示すことができれば嬉しいです。何か質問やお話があれば、どうぞお気軽にお知らせください。

投稿者

東京都

コメント

  1. 全体と部分という関係で考えると、地球>日本>学校>孤児院もしくは部活や友人など限定された関係>家庭>引きこもり、となるでしょう。それぞれの部分の問題が解決されない場合、その上位の部分に逃げるか、もしくは下位へと移行するのかによって立場が異なるでしょう。などと私は考えていました。いずれにしても考えさせられる詩、でした。

  2. @二一六
    二一六さん、感想を書いてくださり感謝します。
    二一六さんのコメントを読んでから今回載せてみたログを
    再度読んでみたのですが、二一六さんの感想に、今、返信
    したいと思ったことは、
    「子供の頃から良い生活環境で大人になって総理大臣になっていく人」
    を入れると二択ではなくて三択になるのかななんて取り留めないこと。
     
    それから、二一六さんは、感想の文面からは、たぶん、その立場ではない
    ようなので、DV経験者達や孤児院の出身の方達は、もっと、一人ひとり、
    たくさんの選択をしながら、それ以外の人達と同じように生きているのにと
    なんとなく思いました。

    なんか、忌憚のない感想だったのかな。二一六さん、ありがとうございます。

  3. @たかぼ
    たかぼさん、コメントありがとうございます。

    「孤児院」。
    とても難しい問題として捉えています。

    歴史的にも戦後の戦争孤児以前からある問題ですし、1500年位前の
    聖徳太子も四天王寺で試みて解決のひとつとして実行に移している
    わけで、当たり前ですが、監護することの哲学的な深さは古今東西
    共通しているので、そこには、宗教以前、近代政治以前から続いた
    人間が人間であるための人間として生きていくことの人類愛みたいな
    ものがあるのかななんて感じたい気持ちです。

    難しいです。

    まだ、私には、早過ぎたテーマでした。

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