ひとりごと
目の前の空きビンを眺め
飛ぶことを夢みながら
なにもない背中を丸める
ポジティブに拍手を
情熱の意味を知りながら
この椅子から離れられない
ふと
せつない言葉を綴ろうと思い立った
でも一行書きだしたら滑稽になった
口の周りを汚したままだったので
袖口であわてて拭った
ははは滑稽は拭いきれん
時は忘れない
決められたことをただ執行する
そこには何も介在せず
何の感慨も読み取れない
ただ僕は知った
地球の裏側でも
悲しければ泣くのだと
いつの世も
嵐などどこにもない
ただ窓辺の枝が揺れただけ
それを断末魔と受け取るのか
足らないものを足すことは
僕にはルール違反なんだよ
ルールってなんなんだろうね
虚無を考え続けている奴は
バカゲタことで満たされている
本当の虚無に何もないだろ
悲しみも
苦しみも
匂いすらも
そして意味もないことを書き散らかして
意味があるかのように受け取られることを
願う
願う
みんな共犯者だ
そんなとこまでは迎えに行けないよ
闇に溶けながら
もう地球上の誰にも伝わらない
片言を独りつぶやいている
コメント
ひとりごととは、独り言、ひとり事?
この詩を読んで、ひとりごとは、地球上に他人が居て はじめてできる行為だと思いました。
この詩の最後の方の、そして意味もないことを書き散らかして/意味があるかのように受け取られることを/願う/願う/みんな共犯者だ、というみんな共犯者だ、というところで最高潮に感じ入ります。
ひらがなで「ひとりごと」にしたのは、そういういくつかの意味を持たせたいと思ったからで、ありがとうございます。
僕は二つ以上の意味を考えながら詩を書くのが好きです。というか習性?
最初の連の「なにもない背中」も荷物も背負わず気ままで無責任な背であったり、天使の羽のない哀れな背であったり、つぎの連の椅子も人生に執着する王座であったり便座であったり。
そしてご指摘のところも、というか全体的に他者に向かって言うようでブーメランのように自分の事であったり。共犯者を疎んだり、共感者にほっとしたり。
世の中は0か100、正か悪かでみな言い表そうとするけど、実際そんな簡単じゃなく距離はあいまいです。
個人的に、三連目が、気持ちに沁みました。せつなさと、滑稽さ…。私も、よく袖口で拭います。詩は、混沌としていてよいと思うんですね。二つ以上の意味、思惑がないと、むしろつまらない。1から99の間の混沌に、詩は存在しているのでしょう。
長谷川さん
だいたいなんか書いてやろうと思えばうまくいかないのです。特に頭の中でこさえた感情は詩にならなかったり。ごみ箱行きです。
三連目は実は昔むかしに書いた詩の一部で以前のこのポエ会に出したのだと思います。でも旧ポエ会の消滅により、その詩はなくなってしまった。保存してなかったので永久さらば。
でもこの断片だけは昔のメモ帳にあったもので、無くなった詩の残滓です。本体がもうないのだから、他に使ってもよかろうと。僕が書いたのだし。
今回ぬぐったのは食中毒にあたったのもあり、ちょうどよかった。
ぽえ会再開以降、また新たに詩に向かうようになって、年齢とか今の境遇とか世の中の時勢とか、そういうのも含めて、自分が詩を書く意味みたいなものをずっと考えるようになってしまった。オレの独り言は独り事でありながら、必ず共感してくれる誰か一人(のために書かれた)言であればいいなとは思う。
まさにそうだね。自分の為に書かれた詩のなんとも味気のないものか。
かといって書こうという衝動は自分の為かもしれないけど。それを読まれるものとするには、誰かのためのひとりごとであればいいなと思っています。もし読まれることがないとしても、誰かのためであればいいなと思うんだ。
せつない言葉が滑稽になる部分、すごくわかります。いつもそうです。せつないものを書きたいのか滑稽なものを書きたいのか時々わからなくなりますが、「人生はせつなくて滑稽だ」ということを書きたいのだな、と思います。共犯者同士の信頼性みたいなものにも目を向けてみたいと思えました。
読後にみなさんとのコメント応答を読んで、うん、うん、うん、とうなづきまくっております。
「人生はせつなくて滑稽だ」
まさにそうですね。僕は共犯者よりも犯人と被害者の関係にあこがれているのかもしれん。
なるほど、犯人と被害者の関係ですね、確かに❗️
作者と読者でストックホルム症候群。読者の生存戦略…