(詩論)初級編:(必読)ギフトについて
今まで繰り返し商業誌のなかで詩人の作品はどう読んでも良いというセリフを耳にしてきたけど、内心の自由の当たり前なことをわざわざ紙面使って、名の知れた詩人達がさも真実を知っているかのように偉そうにいっているとはぜんぜん思えないので、そんなセリフを紙面でいう詩人達は別の意図があると解釈すべきところ、鵜呑みにして、ネットサイトで、内心の自由の当たり前なこというネット詩人には、言葉の凄みも知らずに楽しんでいるだけなんだろうから、将来は君のファンになって詩集を大人買いしてくれる可能性もあるわけだから、君は当たり障りのない返答をしといてあげたほうが、よいのでしょう。詩人の作品はどう読んでも良いはずはなくて解答は(信じられないかもしれないけど)、常に用意されているからこそ、用意しているのは、誰かも、いつわかるのかも、何処でわかるかも、何が用意されているかすらも分からなくても、作者が伝えなくても、ちゃんと教えてくれるんだ、ときにはちゃんとした形でギフトが届くように出来ていて、だからこそ現代詩というジャンルが確立しているわけなんです。
コメント
読者は読者のために読む。
作者は誰が為に書くか。
ただ読者が読者のために、だけでは足りないこともある。
思うに詩は能動的に受けとるものであり(なんかへんかな)、そこには自分を(言い換えれば世界を)変容させる。もしく拒絶され、ケガを負い、でもその拒絶もケガもいくらでもプラスにできる。
思想家の言葉はその手を離れて思想となる。そうしたその思想は一つの宇宙であり、また化学物質。それを個々(もちろん読者)にどう作用するかは、色々なのだろう。
何処から発せられようと言葉自体に精霊のような成分がある。
現代詩の弱点は周りだけではなく作り手(の一部)が自らを現代詩と名乗ったことだと思うんだ。
ロックもオーディエンスだけでなく、我はロックンロールとやってから(煽りならばいいけど)、緩やかに衰弱していった。
作家、山本周五郎の言葉を、ふと思い出しました。
「文学には“純”も“不純”もなく、“大衆”も“少数”もない。ただ“よい小説”と“わるい小説”があるばかりだ」
詩もそうなのかなと思います。詩には、現代詩も、近代詩も、ネット詩もない。ただ、よい詩とそうでない詩があるばかりだ。
王殺しさん
無敵の方だと思っていた現代詩に弱点があったのは気づきませんでした。
ブログに趣味は詩作ですと冗談抜きで書いてる人達の作品は読み飽きた
のと同じでしょうか?
それでも読み続けていると傑作に出会うものですよ、と思ってますかね。
長谷川 忍さん
ジョンデンバーだったか、良い音楽は良い音楽だと、いつぞや聞いたことあります。
私は絵本が好きなので、エリックカールのはらぺこあおむしは、生きている喜びを
貧しくてひもじかった子供時代の思い出と重ねて読み続けています。カールに感謝。
人間が中心であるとの思考に反対です。『人間が詩をつくる故に』詩が尊いとはならないと考えています。詩のもっと手前にあるものが、詩を選別します。それを感じないで詩をつくることは、『反詩』です。
坂本達雄さん
「
人間が中心であるとの思考に反対です。『人間が詩をつくる故に』詩が尊いとはならないと考えています。詩のもっと手前にあるものが、詩を選別します。それを感じないで詩をつくることは、『反詩』です。
」
坂本さんが詩と詩ではないものを分けることが出来ているのならば、何も問題はないですね。
答えを見つけた聡明さを羨ましく思います。
私は10代のころから長く興味があるのにそこんとこの
分別すら怪しいというか、できてないです。
社会人になってから、或いは詩の読み手に徹するよう
努めるようにがんばってからも、長いスパンで詩への
興味が失せないことに諦めて最近はwith POEMの日々かな
どのようにしても、詩を書くのは、それは自己に与えられた「責務」です。誰がそれを与えたのかを、「知る」ことが、わたしたちの人生の、不可避の問いです。今イエスを離れて、正しく、『詩の世界』へ、侵入します。