
海行体
一日の終わりに駱駝に揺られている。その立体的帰心の海上へと急ぐ人たちを返り見る。葉脈からの電信する言葉であれば、すみやかに陸上のはがし液でこの身をカミツレの茶にして溺れる。一日の始まりには消してしまったボーイングの尾羽からの痕跡と言うもの。すみやかにそれはジャーマンアイリスに応える言葉の染みついている。予定的カササギの声と言うもので、イワン雷帝の杖の握られた宝石の形から神経の絡まる場所へと。すみやかに時間の返り点、自慢の定期観光バスでの交わされる金銀の粉といつからの失態であるのかと問うままに。駱駝の背に揺られている月のシンパシーと言うものが、零れ落ちる落雁の竹葉に似ているしずくとかけて行く時。モーションは海水の充たされた形の内に心酔していく。わたしは今の音楽的落葉の縞のもようです。近づく扁桃腺の毬のころがりにしたがって点々とする仕掛けなり。またはこの傾城する琥珀色のゼニガタのあざであるもの。シスターの言葉に光が石の部屋の辿り着くと言うのであれば、これはもう診断された海洋図の端から月が昇り、この領土を欲するタニシの群れている水田の溝に茫然とする者。一日の終わりにわたしがこの駱駝の背に揺られて家路を急ぐだろう。神秘的な情景がさらに束の間の陸地へと、わずかの知のありかたにしたたる。
コメント
大小の視点の切り替わりが目まぐるしくて、イメージの奔流にやられました。
素敵。