本牧まで

本牧まで

高速道路の向こうには
製油所が続いている
トラックが幾台も過ぎていく。

根岸の海が見えたという
小高い丘まで上がる
作家が仕事場にしていた旅館は
すでにない
製油所の殺風景な建物を見下ろす
米軍住宅のあった場所まで歩き
再び坂を上がった。

本質は何も
変わりようがないのだよ
変わらないのだよ。

彼の不器用な温みと
反骨精神を想ってみた。

闇も現実も、追憶も
飛沫なのだという
現実は、嘘
嘘の狭間に滑稽さを滲ませ
ウイスキーの水割りで
無理に呑み込んでしまう
この世に真実などない
あるのは本質だけだ
誰もが裸んぼだ
ゆえに異界に迷い込んでさえ
いとおしい。
狂おしい。

今、汐の香りを
嗅いだような気がした
人間がどんなに洗練されても
作家の眼差しは揺るがない
水のしょっぱい感触は
昔のままだ。

元町に近づくにつれ
あたりは従来の本牧らしさを
取り戻していく
異界に懐かしさを忍ばせる
行く手を睨んでみた。

*作家 山本周五郎

投稿者

東京都

コメント

  1. 作家の眼差しは揺るがない、というところに この詩が集約されているのではなかろうかと読みました。その強さを持てたら すてきだなぁ、と思います。
    そしてこの詩を読んで、変わり続ける物事と変わらない物事があり、世界は成り立っているのだなぁ、と あらためて思いました。
    すてきな詩で好きです。

  2. こしごえさん
    山本周五郎は、昭和29年(51歳)から亡くなる昭和42年(63歳)まで、横浜の本牧間門町にある旅館の離れの部屋を仕事場にしていたそうです。曲軒(へそ曲がりの意)というあだ名をつけられたほど、頑固で一徹だった方だったようです。かつての彼の仕事場だった場所を訪ねつつ、作家を想ってみました。好きな作家です。

  3. 間門に住んでました。小中高校もその近くでした。写真はわが母校かと思いましたが違うようでした。建て直したかな。大将というラーメン屋も。
    まだ本牧通の北側はずいぶん米軍の住宅地だった。英語を教わりに通ってた。懐かしいな。

    間門園は子供の頃まだありました。営業はしてなかったかな。長めの階段があって。
    この詩を読みながら懐かしく頭の中で散策しました。僕も山本周五郎の作品が好きです。
    この世に真実などない
    あるのは本質だけだ
    僕も今宵ウイスキーを飲みながら考えてみたいと思います。

  4. 作家のまなざしと風景が、伝わります。

  5. 王殺しさん
    間門に住んでいらしたのですか。山本さんの仕事場だったところから近いですね。そうです、間門園。根岸の海に近く、当時、海べりをよく散策したと山本さんのエッセイに書かれていました。この日は、JR根岸駅から、本牧通りをあちこち寄り道をしつつ、元町まで歩きました(途中、少しバスにも乗りましたが)。この界隈は、いちばん横浜らしいかな、と思っています。

  6. 服部剛さん
    文学散歩のような感じになりました。山本周五郎がかつて住んでいた町を、実際に歩いてみたくなったのですね。

  7. 長谷川さんのまちの詩を拝読するといつも行ってみよう!と思います。
    眼差しの本牧らしさを探しに。

  8. たちばなまこと/mikaさん
    横浜寄りの川崎下町に長く住んでいましたので、横浜の海側は、懐かしいという感じがあります。本牧、散策なさってみてください。たちばなさんにとっての発見があるかもしれません。

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