明烏
開け放たれた窓から差し込む光の
切先が面前でゆらゆらと靡く朝に
人殺しのニュースを漫然と眺める
若人の未来を簡単に奪い取る行為
その不条理もどこか正常な世界で
間違っているのは外側かもしれぬ
鏡のように俺を映す濁ったガラス
空けたばかりのボトルを放り出し
深淵へと無造作に潜り込んだ夜に
皆殺しの爆弾の話題で盛り上がる
幾億の魂を延々と循環させる行為
その不合理がもたらす生命の輪に
繋がれているのは内側かもしれぬ
赤黒い鳥のように俺は声を尖らす
開け放たれた窓から差し込む光の
切先が面前でゆらゆらと靡く朝に
人殺しのニュースを漫然と眺める
若人の未来を簡単に奪い取る行為
その不条理もどこか正常な世界で
間違っているのは外側かもしれぬ
鏡のように俺を映す濁ったガラス
空けたばかりのボトルを放り出し
深淵へと無造作に潜り込んだ夜に
皆殺しの爆弾の話題で盛り上がる
幾億の魂を延々と循環させる行為
その不合理がもたらす生命の輪に
繋がれているのは内側かもしれぬ
赤黒い鳥のように俺は声を尖らす
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コメント
それだけで詩的なタイトルが秀逸。文字が揃った上段下段での言い回しやタイトルと符合する理性的な詩の内容もたまらない。
トノモトショウさんの詩を読む時、ギミック探しをする癖が付いてしまったなあ。
この詩の、流れるような言葉の連なりと、重く強度のある詩行に うなります。
烏の声って、どこかやりきれない部分もありますね。しかし、ここ田舎の静けさの中で聞く烏の声は、なんとも味わいがあります。
『不合理ゆえに吾信ず』、埴谷雄高さんの本のタイトルです。うろ覚えだし、確かなことではありませんが、この本のタイトルの元ネタは、ギリシアの哲学者か誰かの言葉から来ているのかな?と記憶してる。
不合理ゆえに吾信ず。この言葉の真意を、私自身は分かりかねるけど、不合理だから、自分を(自らの分を)信じたいというか、それとも、何かを信じたいというか。世の中を少し見てると、そう思います。
夜の契りのおわりを暗示してるのかーなるほど、落語かぁ面白いところに目をつけたね
明烏という古典落語は存じませんが、調べたところによると朝に鳴くカラスの意味で、翻って男女の夜の関係が終わることを暗示しているとのことですね。私の好きな言葉に「後朝(きぬぎぬ)」があるのですがそれと似ていますね。古典落語の「芝浜」にも通じるところがあるようですがこちらは聞いたことがあります。ともかく一連と二連の締めの部分はその烏のガラスという響きから連想されたと思われます。更にそこへ着地するための現代の不条理と不合理。忌々しい烏という鳥こそが実は逆説的に鳥の中の鳥とも言える存在かと思わされます。
外と内。
ぼくはここに焦点があうような気がします。
循環ではなくて、ただ連綿と続いているだけなのではないか、などと、色々とゆれるようです。
今の世相を、おもわず振り返ってしまいます。AIに頼るのではなく、自分自身でものを考える。その大切さを思います。外と、内、今自分のいる場所がどこだか、時々わからなくなることがあります。詩作も、自分の位置を確かめる、そんな行為なのかな。