ひとみの奥に
たしかにあなたは僕のとなりに机を並べていた
はるか30年前の学び舎で
ひそかにあるクラスメイトに想いを寄せながら
たしかにあなたは変わらず人懐っこい顔で笑っていた
たった6年前の同窓会で
夫婦の睦まじさをキラキラと絵にしたように
遠く離れて住所も連絡先も知らず
不義理ばかりの僕に教えてくれた人がいる
そのおかげで今がある
あなたの病のこともまた人伝てに
わずか2年後のほんの4年前のことだった
人の性質はこういうときにあらわになるもの
あなた以外の人たちの実にいろんな反応を見た
僕のそれもそのうちのひとつであっただろう
クラスメイトで学校に集まろうかなんて
衝動的にかつ熟考の末に予約した飛行機は
かつてないほどの台風で欠航となった
僕は生命の奇跡を知ってる
ひとり祈ることは自由なんだ
確認する術がないのはむしろ救いでもあった
こんなにもがんばっていたのか 夫婦で
僕はまた生命の奇跡を知った
ひとり手を合わせることは自由なんだ
ひとり思い出すことは自由なんだ
ひとりじゃないあなたは自由なんだ
いつか僕も光の粒々になれたなら
あなたのもとにも飛んで行こう
今は遠く離れているけれど
ようく考えてみれば元から遠く離れていた
それに今は住所も連絡先も知ってる
ひとみの奥に ひとみの奥に
人懐っこいあなたはいる
コメント
先日の、たちばなまことさんのお作品もそうでしたが、このお作品もそうですね。…こういう詩に弱いのです(泣)。
僕はまた生命の奇跡を知った
ひとり手を合わせることは自由なんだ
ひとり思い出すことは自由なんだ
ひとりじゃないあなたは自由なんだ
作者の生の気持ちが伝わってきます。こういう気持ちは、散文より詩の文体のほうがより伝えやすいのかな、と思うのです。
長谷川さん、ありがとうございます。
おっしゃるように、時々、それが作者のものなのかどうかよくわからないですが無防備で生々しい言葉が降りてくる時があります。
歳を取るごとに思わぬところから訃報を聞くことが増えてきました。その分、自分もどんどん死に近付いていて、特にこれといった病気もなくそれなりに生きていることの奇跡を常々考えます。私小説的な語りでありながら、傍観者の立場で言葉を紡いでいくことは、何か詩人の特質なのかなあと感じました。
トノモトショウさん、同年代と想像するにホントそういうことが自分の周りでも増えつつあるのを感じます。『生老病死』界隈の出来事にはどうしても自分に向けた問いも多く発生しますね。
“僕は生命の奇跡を知ってる
ひとり祈ることは自由なんだ”
お守りにずっと持っていたい言葉でした。
霊感が舞い降りて書かれたような凄みのある悲しみや優しさが漏れ出る、素敵すぎる詩。
たちまこさん、身に余る最高の褒め言葉を頂戴して、実は「ひとり泣くことは自由なんだ」という行を削除した経緯もあるのに、二重に泣いてしまいそうです。
あたりまえのことなんか 一つもないのかもしれませんね。故に、さまざまな存在や物事が ありがたいと思います。
こしごえさん、ありがとうございます。
ホントそうですよね。
「ありがたい」の反対語が「あたりまえ」ですものね。
そういう意味でもやはりさまざまな存在や物事に感謝ですよね。