白黒
隣人がボブ・ディランである可能性より
隣人が殺人鬼である可能性の方が高く
だが実際には隣人とは平凡なものであって
平凡なものが殺人鬼になる可能性の方が遥かに高い
(僕の親愛なるニガー
ジョー・ジャック・フランシスコに捧ぐ)
WHITE ○● BLACK
君は教会に行った
懺悔室で神父とシスターが交わっていて
主は遥か昔に死に絶え
人が信じるものは空虚なヴィジョンでしかない
ということを知った君は
川に行った
あっち側で手を振るインディアンを
こっち側で無視する君は
どこも狂っていないと自覚しながら
やはり異常である
ということを知った君は
ラブホテルに行った
あどけない少女の顔が
温もりと三万円を求めるように
股を開いていて
それは悲しいことだが
それは本当に悲しいことだが
射精した彼女は
こんなの狂っているわと呟き
やはり異常である
ということを知った君は
考えることをやめた
[TONOMOTOSHO Rebirth Project No.096: Title by 詩人グエル]
コメント
異常ではない「ふつう」という状態の存在が在るのかと問われれば、私はそんな「ふつう」の存在が在ることの方が不思議に思います。この詩は異常なことを述べているようで、「異常である」ということに自覚的なところが鋭く描かれていて、でも、その鋭さが読者である私には なぜか優しく感じます。
昔からそうなのかもしれませんが、「異常」が「ふつう」になっちゃってる世の中ではなかろうか、というのは昔から私が思っていることです。
こういうすごい詩を書けるのがトノモトさんなんだなあ、とあらためて思います。
思い描いたイメージが次の一行で裏切られるという快感は詩でしか得られないものかもしれない。トノモトさんの詩にはいつもなにかしらそういった音楽的旋律があり楽しい。
海外の方が書かれたような雰囲気の詩だなと思って、あえて翻訳されたもののように味わってみました。
そこで、3万円!
日本円に換算して翻訳するとは。
読者のひとりよがりですが、何だか多国籍な趣がありました。
ディランはたったひとりだが、殺人鬼も異常なものもそこかしこにいて、自分もそこかしこの側にいるんだろう。
次々にやってくる転調のベクトルたちが快感でした。
まぁ考えることはみなAIにさせればいいんじゃないか。
僕らはもうただ風に吹かれて、吹かれっぱなしでいいんじゃないか。
普通じゃもう飯が食えないからみんなディランか殺人鬼の二者択一でいいいんじゃないか。
そんな気分なんです最近自分。
ニューヨークの、ブルックリンのあたりの光景をふと想像してみました。白日のもと、平穏と狂気の重なり合った現実の最中で、人は、どこか刹那的に生きているのか、…と。