感想文的自由なコラムPOECOLポエコラ #013

ますこゆうり

詩で踊ろう

#013|2023.02.12

こんにちは! ますこゆうりと申します。
今回おかしな(おかしな)ことにポエコラを書かせていただくことになりました。コラムなんぞ書いたことがないのでちゃんとできるか心配ですが、少しでも読んでいただけると嬉しいです。
詩を書き始めたのはちょうど一年前になりますが、当初の作品は今なら絶対に人前に晒せないまさに〝黒歴詩〟でした。ある程度自分でも恥ずかしくない詩を書けるようになったのはごく最近のことです。
詩というものを知ったきっかけは、みなさんご存知、最果タヒ氏。声優の諸星すみれさんが歌っている「青い関係」がCMで流れていて、「ぼくたちは友達にはなれない」というフレーズに衝撃を受け、「こんな言葉、使ってもいいんだ」と詩の世界に興味を持ちました。
ここぽえ会には「シャレオツなサイトだな!」という少々不純な理由で投稿しはじめました。まさかこのサイトには前世があり、生まれ直して今があるなどということはつゆ知らず……。
とにかく詩が映えます。どこかの出版社のwebサイトにプロ詩人の作品として掲載されたかのような錯覚があります(笑)。そしてなんといっても、ここではやさしいコメントがたくさんもらえます! ツイッターやnoteに発表しても、なかなかコメントをもらえることはありませんでしたが、ここで初めて詩を投稿して、それにコメントを頂いたとき、自分の詩がどう見られているのかを知った瞬間は大きな変化を感じました。自分の作品の見え方が変わります。そして人に読まれることをこれまで以上に意識することで、モチベーションが高まり、詩のサプライズ性や推敲力が上がります。
さて、私にとって詩を書くことは、単に感情や思想を伝える手段とはちょっと違います。そもそも、私は詩をどのように捉えているのか。
私にとって詩は【音楽】です。昔から私は文章の持つリズムが好きでした。詩を読んだり書いたりする以前は、小説が読書のメインでした。北条裕子氏の「美しい顔」という小説をみなさんご存知でしょうか。東日本大震災を取り上げていて、芥川賞候補になったものの、ほかのノンフィクション作品に類似した箇所が見つかり、参考文献も一切示されていなかったため、問題となった小説です。もちろんそのような行為は許されませんが、当時それを読んだとき、濁流のように押し寄せるリフレインの数々に衝撃を受けました。また、私の一番好きな小説で、中島たい子氏の「漢方小説」がありますが、これもあまりに軽妙な、リズムに乗りながら笑いが押し寄せてくるような文章です。
そして詩ではどうでしょうか。たとえば最果タヒ氏の詩では、句点で区切るのではなく、何度も読点を使用して一息に言葉が流れ込みます。電車に乗っているような、爽快かつ心地のいいリズムが表れています。また、句読点が打たれないまま呪文のように文が続く場合もあります。これは〈散文詩〉の特徴です。(ぽえ会に投稿している私の作品でいうと「夢の夢想」がそれに当たります)。俳句や短歌などの韻文と異なり、複雑な、ジャズのようなリズム。散文詩のリフレインというのは、人間が、楽しくて胸がいっぱいなときや落ち込んだときに、脳内で言葉を反芻することに似ています。心の深いところまで届く、原始的感覚なのです。私は、 散文詩をリズムだけを意識して書きます。散文詩は散文に近い以上、ついつい具体性が高い文章になってしまいがちなので、意味なんて伝わらなくていいから、語感がそのまま体感できるような詩を書きたいと思っています。何か音楽を一曲聴いたような、全体を通してワンセット(一まとまり)の体験。怒涛性が好きです。
一方、散文詩とは対照的なリズムを持った詩の形態があります。〈自由詩〉です。血があふれだすような散文詩に対して、自由詩はまさに虚空に響き渡る誰かひとりだけの呟き。(「無口@Twitter」がそれに当たります)。書きたいことが何も思いつかないときはよく自由詩を書くことが多いです。普段使う言葉が、自由詩にしたときだけ異質感を覚えることがあり、おもしろいです。
音には「意味」が存在します。自由律俳句で内在律(感情の自由な律動のこと、また、それを表現すること)という概念がありますが、現代詩にもそれは含まれていて、内在律とはつまり、立派な「意味」であると思っています。詩は、音で表現するためなら、使われている言葉が支離滅裂でもいいとさえ思っています。「意味がわからない」と言われても、きっと読者は、気づかぬうちに意味を感じ取っているはずです。
だからこそ私は、詩は考えて書くのではなく、すべて感覚で書くことにしています。考察されることを拒む作品が好きです。「考えるより感じろ」。大事なことを言おうだなんて、必ずしも求められることではありません。技巧を凝らさなくても、絵を描くように自由に書いていい。詩は、かっこよければそれでいいんです。 ここまで詩の音楽的性質について語ってきましたが、要するに詩というのは【手垢のついた言葉を解放する手段】であります。
そういえば、感覚で書くことは〝適当〟に書いているのと同じなのでしょうか。人は、絶対に、「偶然」に表現をすることはありません。必然です。必ず個性が出てきます。シュルレアリスムで〈オートマティスム/自動記述〉という詩の書き方があります。理性に追いつかれないようできる限り速く記述し、人間の無意識下に眠っている感情などを浮かび上がらせるというものです。みなさんもやってみてください。難しいはずです。どう理性から逃れようとしても、どこか現実に引っ張られるような感覚がすると思います。その重力が個性です。その感覚を大切にして書きます。でもやっぱり適当に書きます。慎重に言葉を選ぶことから解放される瞬間が本当に楽しいです。
今回ポエコラを描かせていただいて、自分でもわからなかった〈詩〉という存在が、私にとって一体何なのか、整理して輪郭が.めたような気がしたりしなかったり。いやしてないか。結局のところ詩ってなんなのかわからない。私にとって詩を書くことは苦しいことです。いつも完成なんてしていない気がする。それでもいつかこれだと思える詩が出来るまで、書き続けます。詩ってかっこいいから!
この度は貴重な機会を与えてくださりありがとうございました。この場をお借りして感謝いたします。これからも応援のほどよろしくお願いします!

最後に、このごろぽえ会に投稿された詩作品から、恐れ多くも気になったものにいくつかコメントさせていただきたいと思います。

 

服部剛さん「昔の音」

全体が庶民的な言葉で書かれていて好きです。物語は簡潔で、淡々と情景・出来事が述べられていますが、スマホで頭がいっぱいになった人が、人に癒されるところ、人と人のあいだの「やさしさ」のようなものが確かに見つかります。最終連で、餅をつく音が脳裏に繰り返されるとあって、「よかったね」と言いたくなるような作品です。

 

服部剛さん「将来の夢」

続けて同じ方の作品となります。こちらも「昔の音」のように生活のなかのワンシーンが簡潔に描かれています。「他人の人生を尊敬すること」が痛いほど体感できる詩だと思いました。泣きたくなるほどやさしい。服部さんは、小さな個人的出来事から、物事を普遍的に捉え表現することのできる書き手だと思います。詩の手触りがすごく好きです。

 

時雨芳華さん「月」

摑もうとしても摑めない曖昧さ虚しさ。でも、確かに感覚がある。ふわりと何かがそこにある。その危うさへの「好き」がよく伝わってきます。そして最終連で「ひとつ」と口にしたとき、初めて具体的な感覚が浮かび上がる。鋭い感性だと思います。

 

時雨芳華さん「疑心」

こちらもまた空無をよく表しています。今度は心の殻が具体的に見えている状態です。確かにそこにあるのに、実がないのがおのずからわかってしまう。まるで心を覆う表面に触れるとパリパリと音を立てているように想像されます。こんなにも鮮明に感覚を追体験できる作品を書くところがすごいと思います。

 

坂本達雄さん「サッカースタジアム」

サッカーはスポーツ、スポーツはフェアの象徴なのに、まったく不平等で不条理なことが、止められた時間のなかでこれでもかと描かれています。比喩がうまく、「そこで止まった心臓 は、すなおにカウントします」が衝撃的。言葉のリズムもよく、あらゆることが流れ込むように読まされてしまいます。これからも作者には克明に書き続けてほしいと願ってやみません。

 

◆それでは!

ますこゆうり プロフィール

変な詩人。北海道で生まれ育つ。生年月日、性別は不詳。2022年よりネットで本格的に詩作をはじめる。また、同年春頃から作歌活動も行っている。Twitterやnoteでも活動中。2023年の目標は雑誌投稿欄に入選することとノートパソコンを買うこと。長期的には本を出すのが夢。どんなことでもお気軽にお声がけください!(プロフィールイラストは莉羽さん)

ますこゆうり