ところで、みんな詩をどうやって書いているんだろうか。どんな姿勢で、どんな時に、どんなやり方で、それからどんな気分や思いなの?とか。そこが知りたいというご意見が多数寄せられたので、色々語り合ってみようということになり。
【GW期間限定特別企画】 4/28 – 5/10
#01
ところで、みんな詩をどうやって書いているんだろうか。どんな姿勢で、どんな時に、どんなやり方で、それからどんな気分や思いなの?とか。そこが知りたいというご意見が多数寄せられたので、色々語り合ってみようということになり。
【GW期間限定特別企画】 4/28 – 5/10
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皆さん
おはこんばんにちわ!
要望が多かった
「みんなはどうやって詩を書いているか」
このフォーラムでtalk and crossしていきたいと思います!
よろしくお願いしまっす
あ、もう始まってたんすね。
完全に出遅れた!
まずはみなさんの読ませていただきます!
あぶくもさん
木曜日の午後から始まりました!
talk and cross
引き続きよろしくお願いします
ナツコさん
そう言ってもらえると
有難いです
日本WEB詩人会が、より良くなれば幸い!
もちろん俺も嬉しいです
今後とも宜しくお願いします
こんばんは。初めて書かせて頂いてます。
僕はここで投稿させて頂いている詩はすべて数年前の過去作なんですよね。それでもう僕は書けないのです。
今は詩作に費やしていたものがすべて音楽制作の方に向かってしまって。そこからすっかり能力のベクトルが動かなくなりました。
散発的に突然詩作を試みることはありますが、なにもお城が築けなくて。しかも内面を燃やすように突き上げる書き方でやるのは非常に疲れてしまう。
音楽は技術だけで作れますから、内面いらないし、没頭している時はエンジニアみたいな気持ちで多幸感でいっぱいなんですね。でも昔は詩作を技術だけでエンジニアみたいに作ってました。内面は必要無かったです。
音楽の方がずっと魅力的に感じてしまってるのかもしれません。僕の創作はすべて映像ですが、映像的なものは音楽の方が説明なしで作れてしまう。今の僕には詩は言葉の説明に思えてその説明が芸術と遠く思えてしまうのです。
ただ僕の認知は一面的だとも思っています。
言葉は、たしかに映像、音楽に敵わない。わかります。私の詩作は、断片的な風景や映像をなんとか言葉にしたい、というところからスタートしています。言葉は、仰る通り内面を伴いますし限界があると思います。でも、好きなんですよ。映像と、詩の絡みが。西園寺さんの作品は、そういう意味でとても魅力的です。
こういうフォーラムがあると楽しいですね
普段、全く知らないネット詩人さんたちの横顔
が見えるから、皆さまに近づけた感あるよ
タイトルの「どうやって書いています?」は
パンピにはよくわからなくてポエムだと思えば
何となく楽になれるかな
「逆立ちして書いてます」とかいう人がいたら
そういうことだったのかと理解できるんだけど。
フォーラムがそろそろ終わりますので、最後に、ちょっと。
事実で書く詩、フィクションで書く詩、…書き方はさまざまだと思います。私の場合は、両方がごちゃ混ぜになった詩が多いです。事実の中にフィクションが入っていたり、フィクションの中に事実が入っていたり。もちろん、必要に応じて事実のみの詩を書く時もありますが、いちばん面白いのは、事実と、フィクション、物語が交錯した詩ですね。
ですので、長谷川の詩は、話半分で読んでください。(笑)
さて、俺ががどうやって詩を書いているかです
いつも、自分として良いと思う•センスがあると思う言葉たちを吐き出したいと考えています
しかし、もちろん、いつもできるわけではありません
自分の精神がゾーンに入った時に
急に頭の回転が軸を傾斜しながら高速回転しだして
自動速記のように言葉が生まれます
詩を描きはじめます
そのゾーンを詩域と呼んでいる
どういう時に詩域に入るかというと、それはカタルシスだと考えています
大半は場合
外的な様々な刺激を受けて、自分の考えや感覚とは相違があり違和感を感じ続けている
または、否定的な日々を強いられていてストレスが恒久的になってしまっている
女の子と毎晩騒いで二日酔いが4日続いている
人生ではそんな負の時期がバイオリズムのようにやってきます
そんな日々を乗り越えて
あるとき、自らの努力や辛抱で良い方向に向かい出したり
周囲の状況が変化して事前に物事が自分の思う方向に流れる
それら負の時期を全て受け入れ、許して進もうとする瞬間があります
乗り越えて全てを肯定できる賢者タイムのようなカタルシスを味わうことがあります
そんな時、詩域に入る
バイオリズムが好転してゆく
頭が回り始め 自動速記で思うような詩が描かれていく
という、感じです
気持ちいいですよね!
突然やってくるのか!
すごい
詩域、素敵な表現!
でもなんとなくわかるなぁ。
最近は滅多に入ってない気もするけど…
なかなかゾーンには入らない
そこが、面白いんです!
那津na2さんは、以前から「詩域」という言葉を使われていて、関心がありました。なるほど、カタルシスというふうに捉えると、納得がいきます。カタルシスとは異なりますが、私も、詩作は生きていく上での「調律」だと考えています。生きていると、あっちにぶつかり、こっちで転び、自分の音階がずれてくる。それを調律する過程の中に、詩作があるのだ、と。
うわあ!
調律、その通りですね
チューニングが必要なんです、人生と精神には
そして詩の他にも俺にとってそう言ったものはたくさんある
そうですね、調律だ
素敵です
ありがとうございます
遅ればせながら、参加させて頂きます。
那津さんの言われる「詩域」という言葉は、RORUROライブを開催されていた時に知りました。詩を書く人には共通項になるのではないかな…と、当時思ったことがあります。
詩は私にとって、自分の立ち位置から見える風景を描くものであり、時には己の救済となることもあります。振り返ると、一つ一つの作品が、歩んで来た人生の軌跡になっているな…と、あらためて思いました。
渡さん!
ありがとうございます
確かに、自分の立ち位置から見える景色であり救済ですね
凄く納得できます
乗り越えて全てを肯定できる賢者タイムのようなカタルシス、、いいですね。
僕は基本眠りが浅いので夢日記をつけてるんですが、半覚醒というか、寝不足というか、夢うつつの中で単語が浮き沈みして、
いくつかが連なってくる、
連なった言葉を夢うつつで校正する、
頭がぼんやりしてるので曖昧に忘れる
また単語からふわふわし出す
を数日か数ヶ月か繰り返して頭の中で残り続けたのを集めてより集めて、ほったらかして、思い出したらながめて、、という感じです。
なので意識が飛ぶほど眠ると書けないです。そりゃそうか。
忘人さん
夢日記、すごい興味あります
半覚醒、夢うつつの中で集めた言葉達を使うなんて、なんて幻想的なんだ!
色んな方法論があって面白いなあ。それもやっぱり深層心理なんでしょうね。オレも結局頭に残ったものしか信用しないので、メモしておくみたいなことはしたことないですが、皆さんは結構メモしたりするのかな?
トノモトさん
俺は短いフレーズだけ思いついた時にメモを取ります
普段は一気に書き上げます
メモは、取るほうですね。以前はメモ帳を携帯していました。今は、スマホでメモを取ります。外で、詩のフレーズが浮かんだりすることが多いので、忘れないうちにメモっておきます。
若い頃はメモをとるのは邪道だと何故か感じてました。
まだまだ詩を書けないのでとることもないのですけど
最近はメモ派もありかな?と思うようになってますね。
足立らどみさん、町中で詩の言葉が浮かぶことが多いです。…お、よいフレーズだとか思っていて、帰宅すると部分的に忘れてしまう。で、メモを携帯するようになりました。基本的にライブ?詩人なんですね。
この使い方だとどこに何が誰が何を書いているのか
ごちゃごちゃ感があって面白いですね。
渋谷のハチ公前で人探ししていた記憶がよぎりました。
何故自分が若いときはメモをとるというのは邪道だと
思っていたのか忘れちゃいましたが、ある時、ああ、
文字は独立したんだ、最初から文字は独立していたんだ
と気付いたころ、10年くらい前?いやもっと最近かな?
メモをとるのもありなんだなぁと思ったんです。
なにも関連してないようにも思うけど、きっかけって
面白いですよね。
忘人さんの夢うつつの言葉の飼い慣らし方みたいなのが素敵ですね。やってみたいなあ。
それと、逆にサウナで整った後とか、朝から10kmラン後に風呂入って最高にスッキリしてる状態で、さぁ詩を書こうみたいな、仕事仕事!みたいなありえない環境で書いてみたいなとも思えました。
半覚醒での詩作、面白いです。かっこいいです。
数日〜のくだり、なんかわかる気がします。
オレは、やっぱりタイトルが取っ掛かりになるかなあ。今ここで投稿しているのは約20年前に100人の詩人からタイトルをもらって書くという企画だけど、オリジナル詩の場合でもタイトル先行が多い。もしくは核となるフレーズとか単語が降りてきて、それでもう9割方、詩は完成する。後は、そこにあるべき言葉を探す作業みたいなもので、オレ自身の思想とか感情はほとんど置き去りにされている。でも結果的に深層心理が表れるので、インスピレーションって大事だなあと思う。
その「埋めていく作業」に時間が掛かるので、ササッと書き上がることはあんまりない。でも逆に書き上がってから推敲することもない。
タイトルから詩を作っていくんですね
なるほど、俺にはできない感覚だなぁ
絶対に題名は後付けします、俺
タイトルから行くんですね、これまたすごいなぁ。
プロジェクトの所以でもあるんでしょうけど、あの数々の作品がタイトルから生まれたのかと思うと、感慨深いものがありますね。
トノモトさんの天才的なフレーズの数々はこんな風にうまれるのかあ!とめっちゃわくわくしました。
結果的に深層心理が現れるのですね…おおお…色々読み直してみたくなりました。
そんなにみんなタイトル後付けとは思わなかった。すごいすごい言われて照れるけど、オレはタイトル後付けすると一気にしょうもないものになるので、みんなの方がすごいです。
以前は、私もタイトル先行派でした。最近は、タイトル後付けの詩も増えてきて、半分半分くらいでしょうか。詩友のひとりに強烈なタイトル先行派がいます。タイトルが決まらないと私は詩が書けない! と常々申しています。…さまざまな書き方があるのだなと思います。
なるほど。
ここに繋がっていたんですね。
子どもが生まれたら(生まれる前から)、名前を付けますよね。
なんだか、タイトル前付け後つけって、文極に参加していたときも
前付けを受け付けない派が多かったですね。笑い。
私はゴルコンダという即興詩サイトで、楽しんでいたことも
あったので(ここでは禁句になるのかな?)、そこのとこは、
どうなんだろ。文字の本質には時間軸は無いのだから、
前付けも後付けもタイトル含めて、こみこみで楽しんでます。
うわぁ、詩かけないのに偉そうな意見書いてごめんなさい。
後付け否定派なんかもいるのか(笑)そして即興ゴルゴンダって禁句なの?(わからなくもない)
詩人は詩に多くを求め過ぎていると常々思うんだけど、それぞれ好きにやりゃあ良いよね。
那津さんの言う「詩域」の感覚は、興味深いですね。
詩人それぞれに、詩域の感覚があるのでしょう。
僕の場合は、だいぶ前から「情景との対話」という感覚があります。 日常風景、外、家の中でふっ・・と詩が訪れることがあります。
時には本を読む時や音楽を聞く時に、インスピレーションを感じることもあります。
いずれにしても、詩作という行為は興味深いですね。
情景との会話、ですか
面白いです
そして詩が訪れる ふっと
情景との会話は、俺も試してみます
情景との対話!
もう詩を語る表現自体が詩じゃないですか!
詩の訪れもなんとなくわかる気がします。
服部さんの場合は詩が“訪れる”のですね。ほんわかしたお人柄にマッチしてて頷きがとまりません。
情景との対話、というのは共感します。私もそうかもしれません。服部さんは、日常の情景の中から上手に詩を掬い取っているなと思います。
メモについては、僕は詩が訪れた時にすぐ書くこともあるけれど「心の中にメモ」をしておいて、そのイメージを数ヶ月寝かせることもあります。
貴重なご意見、拝見しました。
なつさん〜カタルシス、賢者タイムは、興味深いです。
忘人さん〜半覚醒の感覚はわかります。
トノモトさん〜タイトルからっていうのは自分も取っ掛かりは、そうかな、
服部さん〜心のメモを握りしめている自分はそこまで握力ないかもなぁと思いました。
自分の場合、そんなスッキリいかなくて、モヤモヤした言葉にならないものを、あーでもないこーでもないして、言葉の体裁を整えていくので、なんとか読めるようになる言葉になるまで、またその前に消去してしまう場合もあるので。
もちろん使いたい言葉や、言葉に引っ張られることもありますが、
檻の中のレッサーパンダみたいに、同じところを
ウロウロしながら考えています。
完成しても、まだ考えてしまいます。
そうそう、どこで完成とするのか、ってのもみんなに聞いてみたい。オレはあまり長過ぎるものは、自分が読者の立場なら敬遠しがちなので、分量みたいなものは意識するけど、その言葉・その構成が本当に正しいのかって点では結構迷うし、もうこれでいいやって半分諦めて発表することもある。どこで折り合いをつけるのか。
てぃもさんの、完成しても、まだ考えるってホントすごいなぁ。
でも、時々自分もそういう時あるかも。
元来とても主観的な人間なもので推敲は苦手なのですが、歳とったのか、推敲こそ命、くらいの気持ちを持たないと、ひと様に読んでもらえないよなぁとか思いながら、ああいうものたちを書いて投稿しております。
私の場合、そういう思いと結果はさほどマッチしてませんけども・・・
レッサーパンダ!
完成しても、その詩にまだ向き合えるのは能力ですね
それが、アートを産む原動力
トノモトさんの言う、どこで完成とするのか、というのと関係するけど。私の場合は、基本的に、自分の中の世界って言ったらいいのか、その世界を発想して出来るだけその世界を言葉で再現出来るようにしています。
その世界は、自分自身や周りの人や社会や自然などとの こころの対話から生まれた世界です。これらの世界を出来るだけうまく言葉で表せたと思った場合に脱稿します。
これには、書いているものを何度も読み返して、自分の世界(思いなど)と照らし合わせて、その世界がうまく言葉で定着出来ているかを確認していかないとなりません。この過程で必要ならば推敲していきます。
※以上が、どこで完成とするのか、ということについて。
あと、ずっと前から思っていることですが、詩は、言葉ではなくても、世界のあらゆるところに存在していると私は思っています。
一つの立場で言えば、それらの詩を言葉で見えるようにするのが、詩人なんだろうと思います。
そして、詩とは、お一人お一人の詩人にとってさまざまに存在しているものでしょうけれども、私にとっての詩とは、死を含んでいる生(いのち。生きること。人生)であると思っています。まぁ、むつかしいことはわかりませんけど。
ちなみに、一編を書くのに基本的にはノートに手書きです。今はシャーペンで書いています。
脱稿すると決めたらパソコンのワードソフトで起こしてファイルにして保存します。プリントアウトもします。
まぁ、大体こんなところです。
ぽえ会のスタッフ様のおかげで、こういう場を持てることをありがたく思います。ありがとうございます。
詩が世界のあらゆるところに存在しているという考え方、素敵ですね。
こしごえさんが書かれているように、詩を書くときのツールについてもみなさんどうなのか聞いてみたいですね。
手書きなのか、鉛筆なのかとか、PCなのか、スマホなのか、などなど。
ネット詩の始まりと共に生きてきたので、ずっとパソコンで書いてましたが、今はスマホのメモ帳ですね。おかげで集中して書けないですが、ずっと詩のこと考えるようにはなりました。
自分は昔はノートにシャーペンで手書き(縦書きとか横書きとか)、やがてワープロ(古!)やPCに向かって、そのうちスマホのみになりました。
このデバイスの進化みたいなのを逆行してみたら書く内容も何かしらの影響を及ぼすのではないかとちょっと興味深くなりました。
あぶくもさんは時代によって書き方をさまざまに変えてきたんですね。今はスマホのみ。うん。
うん そうですねえ、書く道具によって書く内容に影響がいくらかあるだろうし、影響が色々とあるかもしれませんね。
私の場合、20年位は手首のけんしょう炎もあり筆圧を掛けずに力を入れないでも書ける万年筆を愛用していたのですが、万年筆の場合書いた文字は基本的には消せないで自由に書き直せないので、ある程度書き込んで推敲したらノートの次のページに一行目から全部を書き写す作業が大変でした。でも万年筆を愛用してた頃は、ある程度紙のノートで書いたら、それをパソコンのワードで起こしてからプリントアウトして、そのプリントに手書きで推敲していくという方法でした。
今はけんしょう炎がほぼ治りシャーペンなので、推敲する際に消しゴムで消して書き直せるので、格段に便利になりました。
じっくり詩を書けるという意味では、手書きが合っているように個人的には思います。
トノモトさんは、スマホで書いているんですね。
そして、ずっと詩のことを考えているとのこと。トノモトさんは詩人の鏡ですね。
私の場合、詩のことを考えるのは、(居間に居る時も少し書きますが、居間だと家族が居る時には集中出来ないので)主に自室で一人の落ち着いた時でないと詩は書けません。
そうそう、詩って別に言葉で表されたものだけじゃないと思うんです。
たとえば、空一つ取っても、色々な空があって、その様子などの空の世界に詩が含まれている、と。
まぁ、私の感じる「詩」とその人が感じる「詩」は必ずしも同じではないとは思いますけどね。
さまざまな詩人お一人お一人にとっての「詩」の詩世界があるはずですからね。ん。
俺もまずは、パソコンで、書いてましたが
いまは、スマホのメモですね
那津さんへ。うん、皆さん今はスマホで書く方が多いみたいですね。それだけスマホが身近な存在なんですね。なるほど~。
うん、イチカワさんの言うように、日常やら現在の想い、というのは詩作にとって切っても切れない大切なことなのではないでしょうか。
イチカワさんの詩作方法に賛成です。
うーん、要は「自分のおもっている詩世界」に出来るだけ近づけるように言葉を配置していくということでしょうかね(もちろん厳密に言えば、読者お一人お一人にとって、その書かれたことから感じたりするのは千差万別な感じ方ではあるでしょうけど)。
なので、私の場合、(その時にもよりますが)サーッと全体を大体書いてから、推敲していく場合が多いですね。自分のおもいなどの世界を言葉に置きかえていくというね。
あ、題は、先に付けてから書くことも少しありますが、後付けの方が多いです。
ノートにシャーペンで手書きだと基本的にはじっくりと推敲出来るので、私には手書きが合っています。(ノートは、本来はヨコ書きのノートをタテで書けるように置きかえて、タテ書きで書いています)
あと、私は辞典(主に広辞苑)が無いと詩を書けませんので、辞典には詩を書く際にいつもお世話になっています。
皆さん携帯で書くのが多いみたいですね。
携帯は、たとえば出先でも思いついた時にサーッと書けるのでしょうから そういう面では便利なのでしょうね。
イチカワさんの書き方は、ある種時代に合った書き方だと思います。(^-^)
こしごえさんの詩には、「命」を感じさせるものが多いように思います。命を含めて、見えないもの、具現できないものを、言葉で掘り起こしていこうという意思を実感します。手書きという手法も、その一環なのでしょう。
長谷川さんへ。ああ、長谷川さんがそう言ってくれて、私の詩から「命」を感じてくれるというのは とってもうれしいです。
そしてそこから作者の意思を実感してくれることも貴重に思います。
うん、私は手書きが落ち着くんですよね。
ああ、作者の手書きについて想像してくれてうれしいし、ありがとうございます。
どこで詩を書き終えるかは、僕も密かな心の闘いです(笑)
詩作は「 言葉の彫刻 」と思っており、時に勇気をもって削らねばならないし、また削り過ぎてもその詩の命が失われる、その妙点を目指したいです。
また、夢の話が出ましたが、僕が敬う作家の遠藤周作は「 無意識(の領域)がペンを動かす 」というようなことを言っていますが、詩作もそうだと思っています。
どこで詩を終えるのか、これはすごい問いですよね〜。
詩の始まりと終わりってホントに興味深いものですね。
うん、イチカワさんと同感。詩作は言葉の彫刻って分かりやすいです。
あと、無意識の領域がペンを動かす、というのは、思い出せる限りでは私にはあまり無いことかもしれません。それは興味深い境地だと思います。
俺は結構、スパンッつって産んで
スパって終わりにしますね
あまり、終わり方とかに長く考えないっす
彫刻は、そうですね
その表現は、俊逸です
たしかにそうなんだよな
削って削って出てくる
みたいなね
夏目漱石の夢十夜の仏師のように
作家の村上春樹さんが、面白いことを書いていました。
「短編というのは、その切り口が勝負なわけですよね。だから予定枚数をカウントダウンしていって、さあそろそろこの辺で切り口を仕掛けようと思って、追い込んで、しかるべきところでぶったぎるんです」
詩と、短編小説は、一緒に括れませんけれども、どう終わるか、ということを考える時、彼のこの言葉がいつも脳裡をよぎります。
出遅れました!
例えば自分や誰かが何か言ったとるする、もしくはひとつの現象を想ったとする、もしくは現象そのものが存在したとする、そこに色かたち音におい感触などのポエジーがスローモーションで一点に吸い寄せられる軌道で集う。それらを語感を確かめながらコラージュしたものがひとつの詩になるって感じです。
タイトルは途中で出来たり、後で付けたりする。たまにタイトルが先にびっくり箱開けたみたいに出てきます。たまにです。
だからテーマ詩は個人では書かないです。パターン引いてる会社のお洋服のパンフレットにちょこっと書くことはあります。
前半に書かれている詩になるプロセスの表現がもう、、、惚れてまうやろー、だね。古いか(^^)
たちばなさんの詩作の具合がイメージしやすくて すてきです。
たちばなさん〜の詩は、詩がやってきて、たちまこの声を通して詩になってく、そんなプロセスを想像しますね。
ポエジーって言葉は良いね
もーぬ。さんを思い出す!
コラージュという感覚、たちばなさんらしいなと思いました。たしかに、コラージュを根底において読んでみると、たちばな作品が少し解けてきますね。
みなさんの詩に対する思いみたいなのが聞けてありがたいです。
詩の書き方って、人生と同じで、自分は年を追うごとに変わってきたなぁという印象を持っています。みなさんは、そんなことないですか?
あきらかに瞬発力は落ちてるし、書きたいことが降ってきて一気に書き上げられることも少なくなりました。
その分、詩にする内容やスタイルの幅が出たりしててほしいなとは思いながら書いてます。
メモは頭の中のこともあれば、役に立たないことも多いですが、スマホにメモることもあります。
終わりが見えてる状態で書き始めることもあれば、彷徨った挙句、突然終わりが来たり、推敲の末、ようやく終われることもあります。
みなさんにとってポエジーとは何なのか?
勢いに任せてこんなことも聞いてみたいなあ〜。
では、引き続きよろしくお願い申し上げます。
あぶくもさんの言っていることは、そうそう、と思います。
このコーナーで私が言った先述のこととは言葉は違うかもしれませんが、私も私なりに あれこれ その時その時によって詩作の進行具合は異なります。
あと、既に言った同じことをこちらでも言いますが、
「詩とは、私にとって、死を含んでいる生(いのち。生きること。人生)である」と思っています。
でも、昔のように「この一編が絶筆」位の詩への情熱は無くなりました。まあ、極最近は、いい意味で(?)気楽(?)に書いていこうと思うようになったようです。ふふ。
たしかに年を追うごとに変わって行きますね
ナツコさんが言う通り、刺激とトキメキと年を重ねたからこその詩感が合わさる事が、長く詩を作り続ける秘訣なのかもです
ツリーが伸びて、だんだんどこを読めばいいのかわからなくなってきたフォーラム(笑)
自分にとってのポエジーを一言で紐解くのはなかなか難しいお題だなあ。すべてがポエジーです、って言うのが詩人としては一番格好良いけど、ポエジーなんてものはどこにもないって言うのも詩人らしいし。大覚さんの「ラストポエム」みたいに。正直に言うなら、オレにとって詩とは羅列と描写に尽きる。別にそこに詩情みたいなものがなくたってよくて、それっぽい言葉を並べてるだけ、ただ正確に描写したいと思ってるだけ。
ポエジー。…自分にとってのポエジーとは何だろう? と考えると、迷ってしまいます。上手く言えないのですが、再生かな。那津さんがおっしゃっていた、カタルシス、詩域の部分にも通じますね。
皆さん、お疲れ様です
色々な意見が聞けて本当にありがたいです
引き続き、
「どうやって詩を書いているか?」
「どんなツールを使って書いてきたか」
そして、あぶくもさんからは
「皆さんにとってポエジーとは何か?」
という質問も出ています!
どんどん書き込んでください
よろしくお願いします
^_^
あぶくもさんの問いで、みなさんにとってポエジーとは何なのか?、というのが出ましたね。それとは異なることかもしれませんが、
皆さんの中で「詩が生きがいである」というような方はいらっしゃいますか?
というのも、私は昨年初冬に数冊目の詩集を出した以降位から、生きがいだった詩が生きがいでは無くなりました。今は、これといってハッキリとした生きがいを見失っている状態が続いていて困っています。ふふ。
これは私の甘えで迷ったのですが、本当はこういうことは結局のところ自分で考えていって、人生の中で答などを見つけなければならないのでしょうが、この機会に ぽえ会の皆さんはどうなのかなぁ、と聞きたくなりまして。
「詩が生きがいだ」という方がいらっしゃるのか お聞きしたいです。
もし、よろしければ、以上の件に関して参考までにお聞かせ頂ければ助かります。いかがでしょうか。よろしくお願いします。拝礼
昨年の詩集を出せて、もうやり切った、と思ったのですが、「詩が生きがいでは無くなった」のは、今だけなのかもしれません。
もっと時間が経てば、また「詩が生きがいだ」と思えるようになるかもしれないし、そうなりたい。もっと詩を思った方がいいのかもしれませんね。
まぁ、一日を無事に終えられただけでも、十分だと思えばいいのかもしれませんし。
最近は弱気になっていて、すみませんでした。
ぽえ会の皆さんへ、私の詩に対する思いを言えただけでも、とてもありがたいことです。聞いてくれて、ありがとうございます。拝礼 (^-^)
最近改めて思ったのは、詩作をしている時から仕上げるまで、「本当の自分を生きている」という感覚があります。
個人的には、自分らしい詩であること同時に、読者が美味しいと思ってもらえる言葉の料理、であることの両立を目指したいと思っています。
それでいて矛盾するようですが、人からの反応がどうであれ、自分(にとって)の詩が何か、をゆるぎなく思うことをも、目指したいです。
今のこしごえさんの心情は過程(プロセス)なのかも?しれません。
また、生きがいと思わずに、自由でいいのかもしれません。
なんだか纏まりませんが、そんなことを思いました(^^)
剛さんへ。詩作をしている最中に、「本当の自分を生きている」という感覚を剛さんから聞いて、「ああ、そうなんだなぁ」と自分の詩作を思い返してみると、私自身もそういう感覚なのかもしれないと思えました。なぜなら、詩を書いている時って、詩に誠実に向き合っているからです。
剛さんがいつも言っている賢治さんの言葉「言葉の食べもの」ということですね。そこから剛さんが言う「言葉の料理」というね。
自分らしい詩、というのは、たぶん自然とそうなるのではないかなぁ、とも思えます。剛さんの詩は、いつも剛さんらしい詩だ。
そしてそうですねぇ、読者が美味しいと思ってくれる詩は、私もそういうのを書けるとすてきなんですが、なかなかね。
剛さんに言われて、自分にとって詩がゆるぎないものであると思えるように、目ざせばいいんだな、と。今の今は剛さんから勇気を頂きました。
そう、今は過程なのかも。そうですねぇ、自由でいいと言ってくれて、助かります。
剛さん、ありがとうございます。(^-^)
追伸 剛さん、剛さんの貴重なお時間を私のために使ってくれて、ありがとうございます。(^-^)
これからもよろしく。拝礼
「生きがいか?」と問われると、どうなんだろう。20代の頃は「オレが現代詩を変えてやる」くらいのことを考えていましたが、「生きがい」とまでは思ってなかったかな。結婚して子供が生まれて、それが「生きがい」になった時に、詩をまったく書かなくなったので、やっぱり「生きがい」だったのかな。じゃあ今再び詩を書くようになって「生きがい」とまで感じてるかというと、そうでもない気がする。
トノモトさんへ。うむ、そうなのですねぇ。
トノモトさんの人生の時代時代により、詩との付き合い方みたいなものが変わってきたのですね。
トノモトさんの詩への情熱はとても高いのだけど、「生きがいか?」って問われると、詩は「生きがいとまではいかない」とのこと。
トノモトさんのおかげで、変わることを受け入れることに気付かされます。
うん、ご結婚をして子供さんが生まれて、それが「生きがい」になるのは分かるような気がします。
もしかしたら、詩が生きがい、とまで思う詩人って少ないのかもしれませんね。
少なくとも、トノモトさんは「詩が生きがい」とまではいかない。
そうかあ、詩は大切なんだけど、あんまり深刻に考えずに、もっと気楽に詩と付き合っていけばいいんだなぁ、と トノモトさんから勇気を頂きました。
トノモトさんの貴重な思いを聞かせてくれて、ありがたく思います。
トノモトさん、ありがとうございます。
追伸 トノモトさん、トノモトさんの貴重なお時間を私のために使ってくれて、ありがとうございます♪(^-^)
トノモトさん、これからも よろしくお願いします。拝礼
あぶくもさんのところに書こうと思ったけど
次のステップにすすんでいるようなので
こしごえさんのとこに書いてみます。
詩は利害関係者等以外のところにある文字や言葉
であってほしいかな
創作者側はポエジーの世界に入ることへの、入っている中での
生きがいを感じないと作る意味が何だかわからないと思うけど
読む側は、原則は、基本は、作品だけに集中して読みたいです。
(例外はたくさん、、、
子供の時に読んだマザーグースは今も読んで凄いと思うし、
世界の良い絵本は人類の財産だと思うし、詩は芸術でないし、
(報道や学問や身内も含めた)利害関係者等以外の文字や言葉に
心が動いたらポエジーがあるんだろう、というかそこにこそ
ポエジーがあってほしいのかな。読み手サイドの心得として
と、まあ、中枢にいた試しのない、パンピの独り言ですよ。
らどみさんへ うむ。私の場合は、詩についても難しいことは分かりません。分かりませんが。
そうですねぇ、詩の利害関係ですかあ。突き詰めていくと、らどみさんが言うように、「詩は利害関係者等以外のところにある文字や言葉
であってほしいかな」というのは、私も一つにはその意見に賛成します。うん。
まあ、書き手も読み手も千差万別であっていいとは思いますけどね。それぞれが自由であってほしい。
※(ここでお知らせします)
皆さんへ。個人的にこれから忙しかったりして、このコーナーを見られなくなるかもしれないので、私へのコメントに返信できない場合が起きるかもしれませんが、あしからずご了承ください。拝礼
こんばんは。八ッ橋と申します。なかなかこんな機会もないと思ったので投稿させていただきます。
僕はここにいらっしゃる多くの皆さんとは違い新参、若輩者です。
人生経験の少ない高校生ですし、身近に詩人さんがいたわけでもありません。
このぽえ会にも最近登録しましたし、ふらふらと皆さんの詩を見て回るだけのことが多いです。しかし、詩を書く方々に出会えたことに感謝して、これからも楽しませていただこうと思っています。どうかよろしくお願いします。
僕が詩を書き始めたのは小学生のころで、石垣りんさんの詩、表札を教科書で読んで感動したのがきっかけでした。「こんな世界が言葉の中に広がっているのか」といった思いから「自分も書いてみたい」になり、試行錯誤を続ける日々です。なかなか思い通りに表現できないこともあり、もどかしさを感じたりもします。
僕の詩は心の中で、口に出して読むことを信条としていて、声に出した時にすっと入ってくるように書くことが多いです。そのせいで5,7音の詩が増えていっていますが……
何処から何で書き始めるかは完全に気分です。昼寝した後に授業のノートにシャーペンで戦争についてつづることもあれば、音楽を聴いた後にパソコンと向き合うこともあれば、電車の中でメモと万年筆片手に単語を羅列することもあります。曲のフレーズや世界観を軸にすることも、完全に自分の愚痴を吐くこともあります。
詩は、僕にとって自己表現であり、感情の清算であり、至上の娯楽です。きっとこれからも書き続けるのでしょう。
ぽえ会のみなさんのこの優しい集まりに身を置かせていただけると幸いです。
八ッ橋さんは、いろいろな道具で書いているのですね。書く道具にこだわらずに自由に書いている様子がうかがえてすてきです。
万年筆も使われるんですね。私も以前は万年筆を愛用していました。まぁそれは手首のけんしょう炎があったので、筆圧のほぼ要らないで書ける万年筆に助けてもらっていたのです。でも今は、けんしょう炎は大体治り、基本的にはシャーペンでノートに書いています。
八ッ橋さんが、これからも自分(自らの分)ペースで詩を書いていくと すてきですね。
嬉しいなぁ!
高校生詩人さんとも、交流できるなんてぇ
しかも、文もしっかりしてらっしゃる
心の中で口に出して読むことを信条としている
なるほど
そこでしっくりとライムがある事を決まりとしているんですね
激しく同意します
俺もそれは必ずやっていて大切にしている
どんどん長くなるので、また新たな命題を提示するのは控えたいんだけど、八ッ橋さんの回答を読んでると「声に出す」ことをどれだけみんなが意識しているのかも聞いてみたいかな。自分の作品は朗読を想定していない(文字としての情報であってほしい)けど語感みたいなものは意識している。リーディングをやってる人なら少なからず声に出すことを想定しているだろうから、きっとアプローチの方法も違うんだろうし。
私も剛さんと同じようにしていて、推敲中に自作の詩を小声で大体音読しながら推敲しています。
けっこう前に、テレビでサザンの桑田さんがレコーディング中に歌詞を口ずさみながら決めている場面を思い出しました。
僕も詩を仕上げる時にそうすることは、しばしばあります。
八ツ橋さん
昼寝の後に〜の下りが、もう、詩人の瑞々しい日々そのものって感じで、読んでいて嬉しくなりました。
八ツ橋さんの詩を読ませていただくときはこの投稿を思い出してまたわくわくしそうです!
八ッ橋さん、こんにちは。石垣りんさんの「表札」は、私も中学二年の時の国語の教科書で初めて知りました。詩を書き始めたのは、やはり高校生の頃です。詩を書いている友人がそばにいなくて、当時はネットもまだありませんでしたので、独りでこつこつ書いていました。その頃のことを思い出した次第です。
八ッ橋さんのお作品を拝読していて、もう少し歳上の方なのかなと思っていました。高校生とお聞きし、びっくりしています。
八ツ橋さんは高校生だったのですね。
以前、作品読みました。
私のも読んでくだされば幸甚です。
イチカワさんのように、言葉を変換できるようになりたい。
那津さんが言う夏目漱石の仏師のように、木の中にある姿を、ましろい紙の中にある詩の姿を、彫りたい。
僕の場合は原稿用紙の裏か、ノートに初稿を書いて、推敲を3~5回位してから、Wordで仕上げることが多いです。
剛さんの詩作模様を知ることが出来て うれしいです。
ああ、剛さんも(基本的には)手書きなんですね。
手書きの詩人が少ないようだったので、手書きの詩人が居て、それも うれしい。
イチカワさんの愛の詩は愛があふれています♪(^-^)
えー
俺も、描いた詩の中から題名探すの好き!
楽しいよね
詩作をしている時から仕上げるまで、「本当の自分を生きている」という感覚があります。
服部さん、すごく素敵な言葉です
凄いし、激しく同意します
俺は、自分が思ったもの以上のモノが出来上がるときは大抵
泣きながら描いています
もちろん!読んでますよ
「詩の上ではかっこつけて理想の自分なんかを演じたりもしている」ってのは、大なり小なりみんなそうなんじゃないかなあとも思うし、一個前の那津さんの「本当の自分を生きている」ってのも同時に成立するようにも思います。
オレもどっちかというと無音でしか書けないタイプですが、集中して書こうとすると、きまって妻が話しかけてきたり、子供が邪魔してきたりするので、なかなかうまくいきません。
いつもイチカワさんのひとりえっちを覗かせてもらってます。そして詩で愛をぶつけるお相手のことを想像して、勝手に嫉妬してしまうのです。
音楽爆音でかけるのは、自分もわかりますが、ジャンルはともかく、自分は無音でなく、興味ないクラシックとか、ヒップホップとか、情報量の多いラジオとか聴きながらだと、脳みそバグってくるのか、言葉が聞こえなくなって集中して、なにか?が、と。
幻聴かもしれないです。
どうやって詩を書いているか…?
私の場合は、まず映像が脳裡に浮かんできます。そこから言葉を紡いでいくことが多いですね。詩を書き始めたきっかけも、断片的な風景を言葉で描きたいという気持ちが高まってのことです。
本サイトの「ポエコラ#006」でも書きましたが、これまでも街中のライブ感覚で詩を書いてきました。散策詩的な作品が多いですねとよく言われます。街に溶け込み、断片的な、ささやかなドラマを探しているところがあります。
街を背景に、掌編小説のような詩が書けたら、などと考えています。
映像から言葉を紡いでいく
なるほどです
俺は映像を浮かべているんだろうか、ふと、気になりました
散策詩、本当に素敵です!
那津na2さん、ありがとうございます。書く詩がすべてそういう詩ではありませんが、そういう傾向はありますね。視覚的に書くのが好きなのだと思います。
オレは言葉が映像になるように書きたいタイプなので、長谷川さんとはアプローチは逆なのかな。読者の立場からすると、映像を想起させるという意味では同じなんだろうけど、きっと同じものを書いても同じ景色にはならないだろうと思うと、本当にそれぞれ特色あるなあ。
トノモトショウさん、最終的な着地点は同じなのかもしれませんね。私の場合は、まず映像が頭に浮かび、それを何とか言葉にしたいというところから始まります。現実の光景だったり、フィクションの光景だったり、両方が混じった光景だったりもします。
イチカワナツコさん、言葉と言葉の繋がりが頭の中で映像化される…。なるほど、何となくですがわかるような気がします。詩は、純度が大切になってきますね。言葉の要素のひとつです。
書いた詩のテキストの中にタイトルを探すのは、その詩のテーマはすでに書いたものの中に潜んでいるようで、心理学的にも?興味深いですね。 参考になります。
那津さんとイチカワさんの、詩作しながら涙が出るというのは、やはり詩作にはカタルシスがあり、哀しみの浄化作用もあるのだなぁ・・と思いました。
音楽や絵を描くのも、そうなのでしょうね。
あくまで持論ですが、不幸な時ほど良い作品ができる気がして、あえて日常で不幸になる選択をして、その経験を詩に落とし込むような方法を取っていた時期があります。それもカタルシスを得るためなのかなあ。幸福を手にした瞬間まったく詩を書こうと思わなくなったのは、結局そういうことなのかもしれないし、詩を書く動機付けみたいな部分も皆さんに聞いてみたいところです。
一番最初の那津さんの「賢者タイム」の話に繋がっていくけど、またちょっと違うか。
あえて不幸みたいな、無頼派みたいな気概はないけども、理不尽な目に遭うと、その違和感みたいのがオーバードライブして、コレは自分が詩にしなきゃ、とか使命感みたいのに突き動かされて、書いたりするけど、自己正当化なのか防衛本能なのか。わからないですが。
あああさん
こちらこそ、ありがとうございます!
俺も昔、カリフォルニケイションとか林檎ちゃんとかを爆音で聴きながら街を歩いて詩を探していました
詩の作用かぁ
それも面白いテーマですね
今から次回のフォーラムが楽しみになるなぁ
確かに「詩はどう作用するか?」は作者にも、読者にも、いいテーマかもしれませんね。
詩の作用。面白そうなテーマですね。フォーラムでは、皆さんのさまざまな切り口があるかもしれません。
ひとりえっち、というのはわかります。上手い例えだなと感心してしまいました。そして吐き出した言葉の純度を高めていく。繰り返しの推敲によって、言葉や表現は磨かれていくのでしょうね。
音楽を聴きながら詩のフレーズを考えたりすることは、私もあります。好きな曲を聴きつつ街中を歩いていると、目の前の光景がまるで映画のような感じになって、言葉が溢れてきたりします。詩作にとって、音楽は大切な要素ではないかな。
あああさんの詩、私、好きですよ。(^^)
今回は最初ということもあって、色んなこと聞き過ぎたね(笑)それだけ各々やり方が違うし、こだわりもあるし、語りたいことも沢山あるということかな。面白かったです。それこそ「詩の作用」みたいにテーマをもうちょっと絞って、深く語り合えれば良いねえ。
ネット詩読み人としては詩人の創作過程がわかる様で読んでいて楽しい。
どうやって詩を書いているのか?
詩を書けない私としては書いたことないので本当のとこは知りませんが、
詩みたいな、もしかしたら、読んでくれる人が詩だと思ってくれる文章を
どうやって書いているのかと置き換えて考えて良いなら、塞翁がポエム
という感じです(あくまでも自分の場合)。詩かもと思うのは詩を書いた
あとにやって来ます。良い詩(みたいのが)出来たなと思っても後になって
何年も経ってダメ詩だったり、その逆もあります。
若いときは、ラブレターはみんな詩だと思っていたこともありましたが、
今は、違いますね。ラブレターと似ていて、ラブレターは好きな人がいる
ときにあーでもないこーでもないと切ったり張ったり思い悩んで書いた
(中学生の時)ことがありますが、「結果として」詩はあとで詩となる
なっていくように思うので、結局は一回一回、違うのだろうかとも思う。
自信をもってこれは詩だという作品を書いてみたいものです(野望)。
楽しい企画なのに水を差してしまっていたらごめんなさい。
詩が芸能やスポーツならば、ルーティンみたいで解るのです、
或いは、一つ一つの作品で書いている状況説明も解るのです。
この音楽がBGMで流れてました、旅の途中です、気合い入れ
の最中です。あーしてこーしてこーやって、などなど
ただ、「いつも」こうして書いていると書いてしまったら、
詩の持っている可能性を狭めてしまうように思いました。
ふむふむ。
昔と変わらずぼっちだな
ぼっちじゃないですよ
フォーラム28日から開いていて30日1日くらいですごい盛り上がっていました!
時間経って今は下火になっていまする
^_^
足立さんのご意見は観点が少し違うので、もう少し早ければもっと盛り上がったと思いますよ!
そうだったのですね
ツイッターの宣伝で見にきたので盛り上がっているな
と思ってました。
らどみさんが言う「詩の可能性を狭める」っていうのは正論で、実際に詩作がルーティン化してるのも事実だしなあと少なからずショックを受けつつ、自分に合った方法論で書く方が健全でもあるんだよなあとも思うのです。
ショウさん、たしかに健全そのもので良いことなのです。
わたしも極東の地で一斉に花ひらく1年に1度の春を謳歌することには本当に賛成なのです。もういいかげん顔の表面の半分を覆うマスクをむしり取って大声で話しかけたいじゃん。けど、コロナが今の日本を露わにしてくださっているといったらコロナ新宗教になるけど表面との差で地滑りが起きているのは良くないと思うんです。将来のこの日本を救う健康優良児も読んでいるかもしれないこのサイトで発言するのは萎縮してしまうし知識の少ない経験の浅いぱんぴの私がいうのも変な話しだけど、ネット詩人は将来のフレイル(虚弱)のスパイラルの渦の中にに自らを投じていい存在ではないはずだと、誰が得するか知っているから、今まで老婆心で書いてきただけなんだけどね。
ラブレターは、みんな詩
かぁ、素敵な言葉ですね
「結果として」詩はあとで詩となるなっていくように思う。…この箇所、興味深いです。たとえば言葉にまとまっていなくても、あの場面は、もしかしたら「詩」だったのではないか? などと後になって気づくことってあります。現在のとりとめのない出来事、想いが、実は未来を予告しているのかもしれない。
難しいですよね。詩は何処にでも転がっているようにも感じますが、
拾うことができる人がなんと少ないことか。黄金伝説ではないけどゴミを拾って福とする、もしかすると大谷選手みたいな人が詩人なのかもしれない、だったら良いのに、と思うわ、なんか投げやりですけど。
na2さん、たぶんだれかの受け売りだと思いますけどね。
実際のところ、想いを込めて切ったり貼ったりして渡したら、
ふざけんじゃない犯罪予告状か!と、文芸部部長(あ、言ってしまった)
に怒られました。まじな気持ちでしたのにねー(恥ずかしいてれ笑^^”)。
(笑)
犯罪予告状と言う題名の詩を書いたら
かっこよさそうです
トノモトさん
犯罪予告状で、書けませんか?
まあ、書けるけど、書かないかなあ(笑)
ふむふむ
相当深いところから絞り出したら
読みごたえありそうな気もします。
ふむふむ
相当深いところから絞り出したら
読みごたえありそうな気もします。
あら二度アップしてます。
失敗
読み直しました。やはり面白い企画ですね。
職業としてのコピーライターと詩人は別物ですよね。
詩人と呼んで良いのだったら詩は後から繰り返しやってきて、
打ちのめされて、鍛えられて、この人は詩人としか呼べない
という領域にまでなって、詩人が存在するのだと思うのだけど、
と思ってましたので、自称詩人ですらない自分がいうのも
場違いなのはわかるのですが、詩の楽しい側面があるのかもと
いうのが感想で、なんか興味深くて、面白かった。
今後とも宜しくお願いします。
改めて考えてみると、自分がどうやって詩を書いているのかがよくわからなくなっています。若い頃は、ぼうっとテレビを見ながら夜中になって、ふと目に入ったイメージをもとに詩を書き始め、ああでもないこうでもないといくつも書き、そうこうするうちに疲れ果てて朝方になって、ようやく何か一つ自分なりには満足のいくものが出来上がっていたようにも思います。そういったことを繰り返すうちに、何とはなしに慣れてきて、そうなると、ふとした衝動である程度は(自分なりにですが)満足のいくものが仕上がっていたように思います。
でも、いまはどうなのだろう。自分でもよくわからない。半世紀を超える人生、何度か詩から離れつつも離れ切れず、こうしていまも舞い戻っています。かっこつければ離れられぬ宿命であり、卑俗に言えば腐れ縁。それが私にとっての詩。どうやって書いているのかを考えるのは詮なきことなのかもしれません。何やらまとまりもないものを書いてしましましたが。
佐藤宏様、初めまして(かな?)
ネット詩を読み続けていると10年20年で詩に飽きた人と
長く続けている人の違いはそれほど差はないと感じてます。
インターネットがなければ私も読み続けていなかったと
思うと、ネットは敷居の低い分、長く続けられるのかな。
、、といっても24時間張り付いているわけではないので
四六時中、ネット詩から離れていない人は存在しないし
適当主義者のわたし的には良い塩梅だと適当に暮らしています。
なに書いているのだろう?
そうそう、「私にとっての詩」は、みんなも似たり寄ったりで
ネット詩の好きな人たちのだいたいのみんなにとっての詩でも
あるのだろうなと思ったしだい
宿命と、腐れ縁。共感いたしました。そうだなあ。私の場合も、宿命と腐れ縁かもしれない。付かず離れず、…ここまで書いてきちゃったら、もう共倒れ。そんな心境で詩を書いております。
佐藤さん
フォーラムへの参加
本当にありがとうございます
もしかしたら、佐藤さんのその感覚「どうやって書いているかわからない」けども宿命的に続けている
と言う状態こそ
もしかしたら詩人の姿なのかもしれません
詩人は、詩に書かされてるのかな、とやっぱり思ってしまいます。
詩は言語空間に立ち現れるのだけど、それ以前に我々が存在する自然、宇宙や意識や空間の、集合的無意識かなと。それがSNSやネット化してるのがWeb詩かなー。と。
たくさんの角度から検討できる話題ですね。
ネット詩と近しい僕らからは職場にPCが導入されて以来、
属人性の排除が、見える化とか内部統制とかの多くの側面で
当たり前のように考えられ受け入れられて(パソナの取締役
会長も同じ路線だけど、本人が属人性ありありですね)、
漠然と社会の影響下で生きてきて、人間って、生きることって、
存在って、今のやり方って、違うのではないか
と、いろいろのわだかまりをもってネット詩みたいのを書いてる
読んでいると、昔からのテーマの詩と詩人の関係が見え隠れして
きてネット詩?があることも大切なんだと思うようになつてます。
ある意味「詩に書かされている」を越えた視点を持ち続けること、
或いは、抗うことで、他者から、「この人は詩人としか呼べない」
という過程が次のネット詩人たちのステージなのかもしれませんね。
ネット詩人でもない私は、年老いて難しいことは身体にきついので、
若い人達の次の世界での活躍を応援させて貰ってますが、、、
人は自然の一部なので、管理されているということに
抵抗があるのかもしれませんね。マイナンバー制度なんて
最たるものだけど、個人的には平等意識からなのか、
受け入れていて、マイナンバーを嫌いキバを剥き出しにする
体力があるなら、もっと先のことに対して
キバを磨いてほしいかなっと
シンギュラリティ以降の人間が人間でなくなってしまう前に
現在の人類って、実は、日々すごい局面に立っているのかと
集合的無意識、というのはわかるような気がします。時間という無数の細胞なのかな。瞬時の感覚、想い、驚き、憂慮…。細胞のただ中で、断片が生まれ、それらのいくつかが言葉に昇華していく。あるいは昇華されていく。
ですよね。ネット社会のスピードが速すぎて、昇華前に消えていく、、、
詩人にとっては、ネット社会とは地獄そのものなのかもしれません。
ただ、パテント云々は気にせず、どんどん出していって進めていけば
(ラベルの低い詐欺師やこそどろは喜々として大歓迎するとしても)
気にせず、どんどん進めていけば、本質にたどり着けるのかもしれない、
けど、その画面の前には個々の人が生きている、生活しているので
身体や精神を壊してまで、のめり込む必要もないしなと思います。
けど、未来、ネット初期に日本という小国が成し遂げたことは、
ネット上での絵文字の発明と展開だけですねーと言われても、
なんか違って、既に、共創は加速しているのに証明できないでいる
皆さまとともにという流れに身を任せながら、エールをおくりたい
のかな。あ、私ではなくて、受け売りです。私は最後のところの
エールおくっているとこだけです。
(うまく言えないけど、あとの証明は、若者に任せたいということ
でいいのかな?)
地獄と言われると、奈落の底みたいに深いスクロールですね。このスレッドはどこまでも潜っていくのでしょうか
えーとですね。たぶん、詩人の人たちの思考回路では、
ぜったいに、表層レベルの話題でしかない程度の感じ?
だと思うけども、浅瀬での釣り?
もしかして、初釣り?
よくわかりませんが、今度、みんなで、飲みにいきたいですね。
そうですねー、
マスイジュウさんとか、来るかなぁ
皆さんへ
皆様の貴重なお時間などを使って、相手をしてくれたことに感謝します。
ありがとうございます。
こしごえさん
ありがとうございました!
皆さん
今回のフォーラム、いろいろな話が聞けて楽しかったです
それと、詩を書く仲間がこれだけ居てくれるというだけで心強いし嬉しいです
最後ですが、次に話したいテーマとか有れば、つらつらっと書いてください!
個人的には、みんなと
好きな映画の話とかも出来たら
楽しいなぁ、いつか
詩人が好きな映画
いいですね、映画。
良いっすよねえ!
検討いたします
ありがとうございます
映画、大好きです。映画の話を皆さんとできたら、嬉しいです。
あー長谷川さんも!
嬉しい
ちょっと必ずそういう場も作ります
今後もよろしくお願いします
皆さまこんばんは。
皆さんの詩への語らいを読んでいるとなんだか幸せな気持ちになりました。
詩を書き始めたときには孤独だったからだと思います。らどみさんがラブレターは詩だと書かれていましたけれど、まさに宛先に届くことの無いラブレターを書いていた頃と違って、詩を見せ合ったり語り合える場があるからですかね。
またよろしくお願いします(*´∀`*)
今日でここは、最後なんですね
皆さんの、
貴重な意見ありがとうございました!
これから、
WEB詩人会で、世を席巻するような作品や、作家や出てきたら!?
次に話したいことかぁー、
詩でなくとも、文学や、音楽や、舞踏や、どのような事に触発されたのか、とか、お話できたら。良いですね。
また、お話しできると、嬉しいです!