坂の上から・街の中から
歩いてきた
この道を
かつて歩いたこの道を
また歩いている
こんなぬかるみもあった
こんな家もあった
こんな山もあった
こんな川もあった
幸せ坂の上からは不幸せ街がよく見える
不幸せ街の角からは幸せ坂がよく見える
むかし、この道を愛した人と歩いた
むかし、この道を支え合い友と歩いた
今は1人、老いた身体を引きずり歩いている
行き着く場所は墓場だと分かっていて進む
こんなことはなかった
あの人がいた
あれがあった
そんなこともあった
幸せ坂の上からは不幸せ街がよく見える
不幸せ街の角からは幸せ坂がよく見える
今が幸せか不幸せかなんてのは置いといて
今日も誰かが坂に登り、誰かが街に堕ちる
それが幸せな奴もいれば不幸せな奴もいる
幸せの裏側には不幸せがいる
不幸せの裏側には幸せがいる
コメント
コメント失礼いたします。
立ち位置によって、物事の捉え方は変わってくる。
否、例え景色が変わろうとも捉え方ひとつで幸せか不幸せか、なんてこともきっとどちらでもよく、どちらもあり。
同じ道であろうとも、歩幅は同じではないように。
肯定も否定も、後悔も許容も、変化も、平衡も、きっと頬を掠める風のように通りすぎて逝くだけ。
そんなこんなが身体を巡る心地がいたしました。
@ぺけねこ
コメントありがとうございます。全ては儚いのです。考え方なんて死んだら残りません。それでも私たちはどんな些末な考えでも考えざるをえません。何故なら人間ですから。
立場の違いとか考え方の違い故に今生ではすれ違った人々が死んだら仲良くなれたりしないかなとか考えたりしています。