玲瓏剔透グライダー
いま、ここ、でしか生きられない身体よ
いのちはいつか、どこか、を生きている
きっとそういう夢を
私たちは見ています
秋空は青がすごく高くて
自分が宇宙の底に立っていることを
この場所が祈る場所であることを
巡る季節の香りを思い出させてくれました
いつまでも、どこまでも、永遠と普遍と
あったとして それがいったい自分になにか関係があるのかと
拗ねてみたかった いま、ここがそうだ、と
すでに知ってしまっているのに、関係はあるのか、と
いま、ここ、でしか生きられない身体よ
いのちはいつか、どこか、を生きている
きっとそういう夢を
私たちは見ています
秋空は青がすごく高くて
自分が宇宙の底に立っていることを
この場所が祈る場所であることを
巡る季節の香りを思い出させてくれました
いつまでも、どこまでも、永遠と普遍と
あったとして それがいったい自分になにか関係があるのかと
拗ねてみたかった いま、ここがそうだ、と
すでに知ってしまっているのに、関係はあるのか、と
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コメント
いま、ここ、でしか生きられない身体よ
いのちはいつか、どこか、を生きている
そうですねぇ。
いま、ここ、なんですよね。それなのに、(他の人は どうなのか知りませんが、)私は、過去の事や、未来の事に、とらわれて生きている。なので、できるだけ、とらわれないように、生きたいです。まあ、とらわれないようにすることにも、とらわれないようにしたい、という部分もあります。つまり、ある場合では、とらわれている対象と、きちんと向き合うことが、とらわれない一つの方法なのかも、しれません。
秋空は青がすごく高くて
自分が宇宙の底に立っていることを
この場所が祈る場所であることを
巡る季節の香りを思い出させてくれました
この4行が、特に、好きです。
秋空の、透けて光る空気を連想されます。
宇宙の底に存在している自分も、何か、ゆるされたような気持ちになりました。
祈る場所、ああ、巡る季節の香り、これらの豊かな詩の香りを感じます。
最終連の、なんとも絶妙な精神の高ぶりの変化を感じさせる感じも 素的です。
ゼッケンさんのこういう小品もまた味わいがありますね。このお題はおそらく二連目の主語になっているのではないかと思いました。「玲瓏剔透グライダー」が二連目を思い出させてくれたのだと。
いま、ここ、という刹那こそが人間の、というか命の象徴のようです。しかし人間はもっと曖昧で永遠のようなものがあると思い込もうとする。いや思いたい。
でも有限が無限にあこがれてもせんなし。
しかし作者は「永遠」や「普遍」なんていう大きな概念をちっぽけな自分に何の関係があるんだと拗ねてみますが、じつは日常の「いま、ここ」の中にこそ、「永遠」も「普遍」もすべて含まれているのだという圧倒的な確信を持っているのではないでしょうか。
だから結びの「関係はあるのか」というのは、逆説的で実は「大いに関係があるのだ」というふうに感じました。
違ってるかもしれませんが、「全部わかってんだよ、説教くさい事言うんじゃないよ」と、わかっているからこそ拗ねてみたい気持ち(?)なんかわかる気がします。そんな気持ちを抱きながら、この相対性の世界を理解していきたいなー
ここ、しかないことは余り認めたくはないけれど、認めることをしない代わりに夢見るのかもしれません。
ここ、には永遠になる瞬間もあるような気もし、でもなぜ、永遠でなければいけないのか、ここ、で良いではないかという思いも浮かぶ、読んでいて不思議な思い漂う素敵な詩です。
ゼッケンさんの詩で私の頭でも読みやすい詩は初体験かもしれません。
“宇宙の底に立っている”
嗚呼、凄いなぁ、と何度も読み返しています。
これが夢なら結構いい夢で、目覚めたら会えなくなった人にも会えるかな。
会えている人には会えなくなるかな。
こしごえさんやたちまこと一緒で「宇宙の底」っていう表現にハッとしました。自分を中心とした天動説みたいな。いや、だからこそ最終連の諦めみたいな感情になるのかも。