最後に
ごめんなさい
私が悪かった
と
最後にも言うつもり。
宇宙が生まれた時には既に
この命は欠けていたけれど、
宇宙の魂という命は
私の命とつながっている
だからか
夜の闇に浮かびあがる
星々の光が遠くても
懐かしい声が聞こえてくるのです。
善く善く考えてみれば、
はじめから私は悪であった。そして
悪に肯定される私の悪 しかし
悪や善というのは
ヒトが言うことよ
と
ひらきなおってなおるのか
ごめんなさい
私が悪かった
だからこそ最後の最後に
ありがとう と言いたい
夜の闇に浮かびあがる
星々の光が遠くても
懐かしい声が聞こえてくる
コメント
自分が悪だと自覚して、最後に伝える言葉が「ごめんなさい」ではなく「ありがとう」なんですね。これには強く共感します。
まだ最後ではありませんが、BENIさんのメールはいつも「ありがとう」で終わるね、と言われたことがありました。
BENIさんへ はい、この詩の話者もそうだし、作者である私もそうで、私は悪です。ただ、悪だからこそ善く生きたいとは時々ですが思うことです。
BENIさんが強く共感してくれて、ありがたく貴重に思います。ありがとうございます。
うん。BENIさんの「ありがとう」はすてきなお心づかいですね。そういうBENIさんがすてきです。
自分にはドキッとするタイトルでした。
いつかは最後が来ること、秘めてはいますが露出しない様に振る舞う日々に疑問を持とうと思いました。
たちばなさんへ うん、そうですねぇ。ドキッとしますよね。そのドキッとしたことを私に伝えてくれて、ありがたいです。ありがとうございます。
そう、いつかは必ず最後が来る。その最後の時が、どういう最後なのかは、今のところは私には分かりません。見苦しい最後かもしれないし、あっけない最後かもしれない。
でも、生前に、こういうことを書き残しておくことで、私は一種の安心感を持てます。それは、ぽえ会などのみんなが、この詩を読んで私の希望する最後を知ってくれたから。
そして、最後は必ず訪れるのであるから、その時の覚悟も思いたいです。
たちばなさんが、この詩を読んでそう思ってくれたことも貴重です。
ありがとうございます。
たちばなさんへ 訂正の追記。
訂正前 × みんなが、この詩を読んで私の希望する最後を知ってくれたから。
訂正後 〇 みんなが、この詩を読んで私の思い描く私の最後を知ってくれたから。
拝礼
善と悪が、遥かな郷愁感の中で交じり合っていく。そんな読後感が残りました。ヒトは、善の裏側で悪をしていますし、悪のかたわらで善をしたりする。「最後に」というタイトル、いいですね。
長谷川さんへ ふふ、ああ、長谷川さんがこの詩をすてきに読んでくれて、それらのことをそう言ってくれて、ありがたく貴重に思います。ありがとうございます。
うん、ヒトはどんなふうに見える人も複雑なこころを持っていると思いますね。
ただ、宇宙や自然などの大きい存在から見れば、ヒトが勝手に?自然に?決めた善悪の判断なんて関係ないのではないでしょうか?ヒトも宇宙や自然の一部でしかありません。でも、それでも、悪は悪で善は善でその他ももちろんありますね、ヒトの世界では。(もちろん、大事なことですが、自分がヒトである以上は、ヒトの世界のルールに従わないとなりませんでしょうね)ふふ。
ああ、タイトルをいいと言ってくれたことも うれしいです。拝礼