謙虚嫌い

何故見る前に飛ぶのか? 
私はこの言葉を聞いた時に、父権と言うものを否定しているように感じた。
私は子供の頃人の話を聞かない子供だったと父親は言う。
私の記憶では、私は誰よりも人の話を聞いていた。
その上で内容に納得していなかったと言うこと。
それが何故分からないのか?
本当は分かってる。表層意識の問題。
表層世界で生きていると、何故鉄棒にまたがって回らないといけないのか?
何故、木に登る必要があるのか?
それら全ての疑問符を封じ込めることにより、肉体的な気丈を装うことが出来る。
そう言うことを教わる。誰に? それが教育。学校教育。テレビ教育。
現代では、SNS教育。自分の頭で考えるなと教わる。
答えを私に委ねて欲しい。それは独裁者の発想だ。
それに乗るのが本当は悪い。子供だったら仕方ないとも言えるけれど
きちんと人の話を聞ける子供は、それを見下す。生意気。
生意気な人ほど、人の話をきちんと聞くのだ。すると口が尖る。
どんな人間にもおかしいと思えばおかしいと口にする。それが出来ない人は
生意気とは言えない。人の話を聞く力がないから、従順なのだ。
きちんと道理を弁えて生きたいと願えば
見た上で飛ぶ必要がないと思えば、飛ばなければいいし
見る必要性を失った時に、飛べばいい。
見る前に飛べと言うのは
父権と言うものをハナから信じられなくなってしまった人の発想だ。
それを父親が自分の息子に薦めるのは、おかしい。
父親はとても謙虚な人だ。ほとんどの人はそうなのだ。
謙虚でありなさいと人に薦める人が、見る前に飛ぶことを薦めるのはおかしい。
それは自分に対して謙虚過ぎるのだ。
本当は自分の息子に対して傲慢であって欲しいのだ。
それが怖くて言えない。飛ぶ勇気がない自分の代わりを本当は願っているのだ。
人の話を聞いてきた人の多くが私への期待を口にする。
逆に人の話を聞かない人は私を馬鹿だと見下す。
私は人の話を聞く人が好きなので、見た後に飛びます。

投稿者

静岡県

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