文学的観察記録

文学的観察記録

私の目から涙が、頬を伝う時、私の体は私の味方をしている。
私が笑っている時、私の体は私の味方だ。
怒っている時も、私の体は私の味方をしている。
表情が消えた時、筋肉が強ばり緊張している時
俯き後ろめたそうにしている時、私の体は私の味方をしていいのか悩んでいる。
女から、表情が消え、筋肉が強ばり緊張している時
女の思考が自分の体の味方をしていないことは決してない。
笑う時も涙が頬を伝う時も、怒る時も
女の思考は自分の体の味方を常にしている。
自らの体を女が傷つける時、女は体より自分の人格を助けようとしている。
そこにはナイーブに陥ってしまった、なにか深い心の闇があるのです。
男が論理的に相手を打ちまかし、人格的反省を促すべきは、肉体的盲目を選んだ対象に絞るべきです。
そこに、ナイーブな女性が加わると、厄介でとても大変なことになる。
そのナイーブさの質内容において、多く男のような必然性を女は持たないので、倒錯した論理で男を困らせることになる。
男は肉体によって女を喜ばすことばかりでなく、知性によって女の体を震わすことも出来る。
女にとって知的ユーモアは如何に、体の緊張をほぐし、くすぐるかが価値基準として上だが
男にとって、質内容で如何に納得がいくかで価値が決まる。
万人に好かれようとする男と、たった一人を愛そうとする男では人間の桁が違う。
女がそれをやらないことで、世の中に調和が生まれるのです。
世間は厳しいと言うが、実際は易しく、とても冷たい。
その冷たさに耐えられない熱い人間だけが、本当に優しく
難しい人間であり、厳しい人間なのです。
易しく、冷たい人々。世の中はそれが大半だと覚えていればいい。

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