焼き鳥

ももを食べました
塩で食べました

レバーを食べました
タレで食べました

叔父が余命を宣告されました
ねぎまを食べました
塩で食べました

十人いた父の兄弟姉妹の
最後の一人でした
父の葬式の夜
一晩中父を罵っていました

わたしが子供の頃は
あんなに優しくしてくれたのに
父と仲良しだと思っていたのに

つくねを食べました
タレで食べました

大人になると
見たくないものまで見えてしまう
明日お見舞いに行こうと思います

ももを今度は
梅肉で食べました

まだあの夜のことは
根に持っています
目の前にはいくら食べても
食べ尽くすことのできない
無数の焼き鳥

明日が来なければいいのに
と思うのは
お見舞いをするのが嫌なのか
いずれやってくる
叔父との別れが嫌なのか

わからないけれど
ねぎまをタレで食べました

通ぶってみても
最後はやはりタレなのだ
そう思いながら
明方近く
タレに溺れる夢を見ていました

投稿者

コメント

  1. 前にも一度、たもつさんにはけっこう失礼なことを言った記憶があるのですが、今回も失礼を承知で言わせていただくなら、この詩が「好きか嫌いか」と問われれば好きではない。好きではないんです。でも、この詩はねえ、すごいと思いますよ。こういう詩はなかなか書けないよ。こういうのって「詩を書こう」「詩にしよう」として生まれるものではなく、その時の感情とか情景とか五感が感じ取ったあらゆるものが混ざり合って、詩として書かれるしかなかった何か、なんだと思います。
    「ももを食べました/塩で食べました//レバーを食べました/タレで食べました」、この書き出しの何とも言えない脱力感。何の話が始まるのだろう、ここからどこに連れていかれるんだろう、そう思っていると「叔父が余命を宣告されました」。こんなに重いものをぶら提げながら、それでいて、おかしみと悲しみの間をふわふわと行き来する言葉たち。「わからないけれど/ねぎまをタレで食べました」。わからないことに向き合うと、人はさまざまな反応を示すけど、「ねぎまをタレで食べ」るのは、もはやそれ以外になす術が思い浮かばない「大人」の態度かもしれませんね。
    「大人になると/見たくないものまで見えてしまう」。ぼくはわりと昔から、そういう「大人の見たくないところ」が見えてしまう子どもだったので、むしろ大人になってからそういうことにダメージを受けることはなくなりました。
    ああ・・・長話しすぎました。

  2. ああ、なるほどな ・・・そんな感じです。

    私は57です。

    夢もそうです。

    ありがとうございます。

  3. 私は妹が亡くなる一週間ほど前に焼き肉屋で親族
    が集まり焼肉を沢山食べました。
    笑いながら… 泣きながら…

  4. 食べるという行為は根源的に生と死に関連しています。嫌でも食べなくては生きていけない。嫌でも死と向き合わなくてはいけなくなる。その関連はあいまいなものであり焼き鳥を食べるまにまに死を考えている姿が象徴的ですね。食事と死を関連付けて詩にするという難しさを感じさせず描いているところが見事だと思いました。

  5. ああ、すごいなって。
    ただただ思います。

  6. @大覚アキラ
    大覚アキラさん、コメントありがとうございます。よし、私も失礼なことを言わせていただくぞ。アキラさん、絶対にもてますよね、なんとなくだけれど。私は全然ダメ。だって、たけださん危険な匂いがないもん、だそうです。
    大人の見たくないところが見えてしまう、それはそれで生き辛かったのではないかと思います。私は光の当たるようなところしか見てこなかったので、この年になって家族、親戚、友人周りの答え合わせが進むと、傷つくなんて柔なことは言わないにしても、虚しさを感じたりします。

  7. @北杜アトム

    北杜アトムさん

    コメントありがとうございます。

    アトムさんは57ですか。

    わたしは56なので

    一つだけアトムさんの方が

    お兄さんですね。

    夢もそうです、と言うアトムさんの言葉

    受け止めました。

    ありがとうございます。

  8. @レタス
    レタスさん、コメントありがとうございます。
    たかぼさんにもコメントしていただいていますが、生と食は切り離せないものがありますよね。
    日々の何気ない食事。思い出に残る食事。
    亡くなった妹さんも、状況から察するにレタスさんを始め、ご家族、親族の方も先行きがわかっていたのですね。自分より小さいもの、若いものの死は、本当に悲しくて、虚しくて。それでも生きるためには食べなければいけない。
    父は食事中に意識を失いました。何を食べていたのか忘れましたが、母が作るいつもの名の無い煮物だとか炒め物だったと思います。

  9. @たかぼ
    たかぼさん、コメントありがとうございます。
    おっしゃるとおり、生と死と食は切っても切り離せないものがありますね。
    ひとつひとつの食事にドラマがあって、けれど、それはドラマとして残らずに、日常のひとコマとして、消費されたり、上書きされたりしていく。
    その潔さも何か、人生の彩りとして好きです。

  10. @たちばなまこと
    たちばなまことさん、コメントありがとうございます。
    宣言します。タレが好きです。塩のほうが素材の味がわかる、とか、いいです。
    素材が悪くても提供できるようにお店が作りあげたタレこそ、すごいんです。
    たぶん、、、

  11. @たけだたもつさん
    親族交代で妹の容態をみていたので、頑張ろうということで焼肉
    になりました。また妹は私の作ったビーフシチューが食べたいと
    言うので病院に持って行き、二口食べてそれが最後の食事となり
    ました。
    おっしゃる通り、生と食は切り離せないですね。
    ご尊父様もご母堂さまの作られた食事を採られて幸せだったので
    はないでしょうか… 
    私なら食べ物よりウイスキーが飲みたいですね(^^; 

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