それとそれ

比較的おだやかな日々
昆虫の眼で
塞がれた土塀を見た
たぶん奈良市内の寺院のあのあたり
昆虫学者の納虫ケースに陽があたる
シイノキ、右近桜、シャチホコガ
ともしびが街路にもれだしている
彼等に報告される幼虫の数が
正確であることによって
山中の幾つかの種類の〈とり〉が確認される
人間の脊柱のわずかな歪みによって
柑橘類や山椒の葉が、いくつかの秘密を守るのである
雨が降り出して、その土地の
拡散された葉の上に落ちて来る
近在の村の過去の実績によれば
洞窟オオコウモリと言う種が
背中に入墨をしている
藁ぶき屋根の薄暗い地面のそこここで
蟻地獄を開放するらしい
とてもじゃないが、ひどいはなしだ
横断歩道の描き直される時
ばさばさと、森の方から飛んで来る
工事の完了したことを
村役場に報告するのはわたしの役割ですから
竹林に沿って道が湾曲し
雨のせいだろうか
口の中には干し草の味がしているのである
清子さんの包帯が交換される頃には
役場の人が現場で写真をとるのである
その隣にわたしが立っている
それが今から見えるのである。

投稿者

岡山県

コメント

  1. 風景画のよう。
    描かれた人たちが溶け込んでいます。

  2. ?!となるような展開ばかりです。しかし恐らく作者は、それを意図して書いていないのではと。当たり前なのです。私に辛うじて分かったのは、山中のとりの種類だけでした。それで、自分の知性への無欲さが悲しくなるのです。

  3. @たちばなまこと
    さんへ、たぶん自由に書くことへの挑戦なのでしょう。溶け込むことも、はじかれることも。

  4. @Saphiret
    さんへ、人は世界を理解しているとおもっていますが、おおくの場合それは単に現状への、なれあいでしかないのだと思います、されどまたこの世界を離れていくこともできないのです、語ろうとしているのは、語り得ないことを知っているからなのか、もしくは、語るのが運命であるからなのか、それすらも、あいまいです、ただ、読み、ただ、そこに精神が、あふれることを願うのです。

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