遠雷
空が終わるまで
遠雷は鳴る遠い私の歌です
あなたの魂へ
私の魂を届けるための
手紙のように
いのちは
かけがえのない こころで
歌をうたっている
今も
そして私が居なくなった時も
これを読んでいるあなたは生きていて
今も
遠い私の歌を耳にする
水鏡の
あなたは
遠雷を
見つめる
空が終わるまで
遠雷は鳴る遠い私の歌です
あなたの魂へ
私の魂を届けるための
手紙のように
いのちは
かけがえのない こころで
歌をうたっている
今も
そして私が居なくなった時も
これを読んでいるあなたは生きていて
今も
遠い私の歌を耳にする
水鏡の
あなたは
遠雷を
見つめる
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コメント
自然の音は、音楽、歌を連想させますね。遠雷、雨音もそうですし、風の音もそう…。自然は、いのち。そして、いのちは歌をうたう。大切なあなたのために。
詩は遠雷なのですね。人は情報を伝達するために言葉を発明しましたが、直接の会話が近くで鳴る雷のようなものだとすれば詩などの文学は遠くで鳴る雷のようなものでしょうね。
長谷川さんへ ああ、そうですねぇ。はい、自然の音は音楽や歌を連想させるというのは同感です。自然の音は、自然の生きものたちの歌声なども含めて音楽に聞こえるのではないでしょうか。
そう、自然は、いのち。私の書いた他の詩で言っていますが、宇宙自体に魂(いのち)があると「思って(想像などして)」いますので、長谷川さんが、そうやってこの詩の大事なところを汲んでくれて ありがたいです。ありがとうございます。
たかぼさんへ 詩は遠雷というのは、たかぼさんの言ってくれている通りなんだと思います。そのことを私に教えてくれて うれしいです。そうですねぇ、そう言われてみれば、人が言葉を発明するずっと前には、人の言葉は無かった!でも、宇宙の物事には、人の常識とは異なる宇宙の物事の言葉みたいなものが今もあるのではないでしょうか?たとえば、星には星の言葉があるとかですね。そういうことにも、たかぼさんは気付かせてくれて、ありがたいです。ありがとうございます。
ああ、遠雷感、共感しました。
惹かれますよね、遠雷。
たちばなさんへ んん、遠雷感に共感してくれまして、ありがたいです。ありがとうございます。
そうそう、私も遠雷好きですねえ。でも、うちのわんこしゃんが、雷鳴ると こわがるので わんこしゃんのためには鳴ってほしくはないですけどねぇ。はい。ふふ。
まあ、私が居なくなった時に、この詩が読まれるかどうかは別としてですね。しかし、どれでもいいので、私の死後も私の書いた詩をどなた様かが読んでくれていれば、すてきだなぁ、とは思います。ふふ。
近くの雷はやかましいし、威圧されますが、遠くにあるその音は何かの予感のようで耳をすませてしまう。
詩も含む文学や音楽、そして絵画は作者がいなくなってもたしかにどこかで鳴っていて、それはしっかりと存在をしている、そんなものが作れればと思いますね。
遠雷を通して、目には見えな繋がりが伝わります。
王殺しさんへ そうそう、そうですねぇ。
私個人は雷好きだけど、近くの雷はやかましい。それに比べて遠くで鳴っている雷って、言われてみれば、王殺しさんの言う通りで、予感めいていて何か静けさが際立つ感じと言いましょうか。
うむ、そうですね。王殺しさんの言う通りで、何かの作品は、作者がいなくなっても存在はしている。
はい、一つでもいいので、私がいなくなっても誰かさんが、私の作品を読んでくれていると うれしいです。夢のような話ですけどね。ふふ。
ああ、王殺しさんが、この詩の要を汲んでくれて ありがたいです。ありがとうございます。
剛さんへ ああ、剛さんが そう言ってくれて貴重に思います。ありがとうございます。
うむ、そうですねぇ。剛さんの言う通りですね。つながりというのは、必ずしも目に見えるものだけじゃないですね。
剛さんのおかげで、そのことに あらためて気付かされました。
目に見えるものだけが全てではない。ある次元では、全てのいろいろな存在は、目に見えない つながりで つながっているのでしょうね。すごいですね。