古くからあるお洒落な手段
『古くからあるお洒落な手段』
中学生になった頃から平安貴族に興味があったんですよ。
短歌がラブレターでもあった時代です。
噂で聞いたあの人と歌を送り合う関係になって、姿が見えるわけでは無いから想像は膨らむばかり。こっそり屋敷の前まで出向いて御簾の下から美しい衣を垣間見たりして、夜な夜な自分を抱きしめて溢れる想いに耐えて。そんな風に色を床にひとつずつ並べる日々を越えた初めての逢瀬を迎えて、暗い中手探りで確かめ合う時、あの歌のあのフレーズみたい、とか、あの歌のあの匂いがここにある、とか、めくるめく答え合わせと降り注ぐ極彩色にスパークするんだろうなあ!と、悶々と妄想を膨らませ巡らせていたのです。
「こんなお洒落なライフスタイルを送りたい!」「歌を贈り合って最終的には契りたい!」
健全だったのか正しく不健全だったのか未だによく分かりませんが、目指せ平安貴族なあの頃に詩を書き始めました。
『何故、詩を見せたいのか』
詩をWEBないし詩誌に投稿したくなるのは何故なんでしょう。
商業ベースを考えない限りは承認欲求なのでしょうか。
私にとってのそれは、表現でありコミュニケーションです。
生活の一環とも言える。
(10代20代の頃の詩は感情日記でもありました。書くことが薬)
だから……なのか……批評ってされるのもするのも苦手です。昔求めていない上から目線の批評をされて大変嫌な気持ちになったことがあります。コンペでも無いのに。これはこれで完結しているのでそういうのは要りません!って思いませんか?
褒められた場合は嬉しい、という矛盾もありながら。
多様性の時代ですから。
ゆるくいきたいです。
そう、洋服も個に向けたブランドが増えてきました。万人受けするお洋服も相変わらず需要はあるんです。売れます。それはそれでいいのです。寄る必要は無くて。誰も気付かないであろうディテールやぶっ飛んだ個性を見つけるとわっくわくします。詩はそんな風に好きな服を選んで着ることや、好きな絵を描いたり好きな何らかのアイテムを集めて身の回りに置くこと、好きな音楽ばかり聴くことなどに似ていると感じています。
「あなたのそれ、いいね!」
見せ合って楽しむ、みたいな。
『ポエトリーリーディングは数ある好きの内のひとつ』
北海道に住んでいた頃、遠距離恋愛をしていた彼(詩人)に、電話で彼の詩の好きなフレーズを読んで聴かせたんですけれど、大層褒めてくれて「君はポエトリーリーディングをやった方がいいよ。東京にはイベントもたくさんあるしね」って。
小さい頃から朗読が好きでした。あとは小学生の時に父に買ってもらったラジオ。声って一番身近で高度な楽器だと思うんですね。大抵の人は日常で使いこなしているのだから凄いと思うのですよ。私はリーディングを「好きの内のひとつ」として楽しんでいるだけの身ですが、誰かの生きるエッセンスになれるような、なりたいような人も沢山いらっしゃって純粋に素敵だな!と思います。ポエトリーリーディングは、唯一無二の声に唯一無二の魂をのせて発信するところがとても面白いのです。結局たどり着くのは人の面白みなんだろうなあ。
『ムービー、ミュージック、ポエトリー』
五感、もしくは六感を、揺さぶりたい揺さぶられたい、赦したい赦されたい、包みたい包まれたい、助けたい助けられたい…色々ありますけれどそういうものを求めて止まないのが人類だよなぁと感じています。年々経験も感度も増えます。
声とからだで表現するポエトリーリーディング、それだけでも魂はざわめくのですが、声と楽器でつくられてるグルーヴ、動く映像、色、そして生まれる偶然なんかを織り交ぜた表現には昂りが止まないひとときもありますね。PVのようなものは誰かと作ることも多いのでその誰かへの感情ものっかります。
昔仲間のグループで詩と音楽と映像をテーマしにしたイベントをやりました。詩人が作る映像、詩人が作る音楽、詩人が選ぶ音楽、詩人が作るイベント。楽しかったです。企画から準備、自分の作品の制作、発表のときも、打ち上げの食事も、全部全部が。一緒に空間を作った者たちが揺さぶり合うのが心地よいからなのでしょうか。ここで新たに出逢った詩人たちも交えて、何か共に作れたら、やれたら、素敵ですね。
『結局は会いたい』
詩や文章の中にはその人が居るので、拝読している内に会っているような気分にもなりますし、やり取りを重ねる内にすっかり仲良くなったような気分にもなります。毎日会う関係でも互いに知らないことは多いものですが、何らかの表現を交わし合う関係の場合、リアルに会うよりも深く内側を晒し合っているようなもの。それって先述した歌を送り合うことに通するものがあるなあ!と思うのです。見えない部分があるって官能的だしかっこいいです。
でも、もっと知りたくなってしまうのです。会いたいのです。お茶をしたり食事やお酒を楽しんだりしたい。街に出掛けたい。本屋さんとお洋服屋さんと美術館に行って、お喋りしたい。声を聴きたい。からだの匂いを知りたい、手の温度を確かめたい。逆にそう思ってもらえるような詩が書けたならとても嬉しいです。
☆感想コーナー☆
新しいぽえ会で初めて出逢った(あえて出逢ったと表現します)皆様の11月の投稿詩の中から、私にとってキャッチーだった作品を作者さんへのポジティブな気持ちと共にご紹介します。
あぶくも
『トゥシップスパッスィングインザナイト』
https://poet.jp/photo/898/
音楽を感じました。洗練されていてお洒落だなー、創作でこんなの描けるの凄いなー、と思っていたんですけれど実体験に基づいた作品だそうで再び感嘆しました。作品への思いやその背景なんかをコメントでやり取り出来ちゃうのもぽえ会の楽しいところです。
あぶくもさんとは趣味のことや子育てトークもしてみたいです。
ますこゆうり
『嘘』
https://poet.jp/photo/882/
序盤も、それが嘘だったことも(生臭いところさえ)、食べられて気づいたという結び方も、全ては作者のきらきらした瞳で描かれているように感じました。ますこさんの詩はいつも新しい細胞のように美しくて焦がれてしまいます。
「感覚で書いている」と、他のSNSで目にする機会がありました。
今後も要ちぇけらしたい作者さんです。
yutuka
『愛の歌』
https://poet.jp/photo/866/
愛について思いを馳せます。
毒も愛の形ですが、贈られた方はしんどいだろう、贈られてきたのだろうと想像します。
この詩の視点にとってどんな愛が輝くのかを模索してみたくなりました。声を掛けてみたいな、掛けたら迷惑かな、そんな風に思っています。
南方孤帆
『親へ~ある手紙~』
https://poet.jp/photo/902/
南方さんはいつも流れるように整った詩を書かれていて一目置いております。しかしこの作品は“手紙”という形でそのいつもと趣が違いました。
読中も読後も心が不穏にざわついて動悸がします。
この詩に出てくる“私”に、いつか包み込む優しさが寄り添ってくれて、“私”が“私”を綺麗だと思えたらいいのになと思いました。
たちばなまこと プロフィール
14歳から詩を始める。詩誌投稿欄佳作など多少のあれは有り。詩の集まり『ROKURO』副宰。
メイン業はパタンナー(お洋服の型紙に関わること全般)東京コレクションブランド『KAMISHIMA CHINAMI』出身。
水彩画→柄製作→ハンドメイド作家の一面も。
2男子の母であり、ライフスタイル、cooking & bake、器集め、アウトドア(最近は釣り)などを時々インスタ映えさせながら多趣味の生活を楽しむ
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